「本能寺ホテル」を観てきた。
前日に、新しく始まったドラマで、コミカルな堤真一さんを見ていたので、きりっとしたりりしいお姿にうっとりしてしまった。コミカルな役もいいけど、私はこういう(織田信長役)ほうが好きだ。
石段に座って、あぶり餅を食べているシーンがあったんだけど、その時の足が、たまらなく色っぽかった(*^.^*)
綾瀬はるかさんのコメディエンヌぶりもとてもよかった。
濱田岳さんの森蘭丸もかわいかった。
事前にいろんな情報が入ってたので、よけいなことも考えてしまったけど、映画はとても面白かった。
「真田十勇士」での勇士たちや、「ローグワン」のメンバーたち、そして今日見た信長、蘭丸など、「滅びる(死ぬ)」とわかっている登場人物たちの姿を見ていると切ない。笑ったり、楽しそうにしていればしているほど切ない。
確かに、人はみな死ぬものだ。だから彼らだけが死ぬというわけではないのだが、物語の中では、いずれ死ぬ、それもわりとすぐに、という運命を知らずに精一杯生きている。それを、枠の外から、あたかも「神の視点」のごとく見下ろしていると、その健気さや精一杯なさまが、なんともいじらしく、また哀れに思えてしまうのだ。
戦闘ものだと、他にも死んでしまう人はたくさんいるのに、そういうときには胸に迫るものがない。それは、そこに至るまでの物語が描かれていないからだ。
物語というのは、切れ目なく流れていく時間の中から、何か一つを取り出して縁取りする、ということなのかもしれない。
あるいは、「生きる」ということは根本的に哀しいことなのかもしれない。
映画の中で、主人公の繭子さんは自分のやりたいことを見つけることができた。
あんなふうに見つけられたらいいなあ、と思う。そしてその「やりたいこと」がちゃんと仕事として成立できるなら、こんないいことはないと思う。
私の「やりたいこと」は金にならない。もうずっとずっと昔からそう思っている。
今の世の中、「金にならない」ことには価値がないことになってる。
私が専業主婦だというと、「働かないの?」とよく言われる。「仕事しないの?」と。
家事も育児も、「仕事」じゃないんだなあ、とそのたびに思い知らされる。
なんで仕事じゃないかというと、お金にならないからだ。
どんなに美辞麗句で飾ったところで、今のところはそれが常識なのだ。
まあ、世の中は貨幣経済で動いてるんだから、お金は稼げた方がいい。
できることなら「自分のやりたいこと」で稼ぎたい、と思うんだけど、それはなかなか難しいよね……と映画を見ながら思ったのであった。