半分 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

もうすぐ1年の半分が終わる。

数日前が夏至だった。
夏至が来ると、ああ、これから少しずつ日が短くなる、と思う。

夏は日が長いというイメージがあるけど、実は一番日が長いのは6月だ。
夏至の日に至るまで、少しずつ昼間の時間が延びていく。
そうして、頂点に達したら今度は少しずつ短くなっていくわけだ。

6月の今頃だと、夜の7時はまだかなり明るい。
でも、7月の終わりになると、7時は薄暗くなり始めてる。
静岡の花火大会は7月の終わりなのだが、そのころには、7時は十分暗くなり始めてて、花火大会を始めるにはちょうどいい按配なのである。


昼間の時間は長いけど、梅雨の時期だから雨や曇天が多くて、あまり日の長さを実感することができない。それが6月。

今日は久しぶりの青空だったが、明日からはまた梅雨空が戻るらしい。
私は毎年同じ心配をする。
ほんとに梅雨があけるんだろうか、また青空を見上げる日がくるんだろうか、と。
そうして、毎年同じように、梅雨が明けたらその心配を忘れる。


そういえば、今年は「アイスコーヒー始めました」のブログを書き忘れた。
なんということもなく、とりとめもなく、気づいたらアイスコーヒーに切り替えてた。
冷房も、なんとなく使い始めてる。
若い時は、こういうことの区切りにこだわっていたものだが、最近はどうでもよくなってきている。
衣替えも、昔は、6月1日からきっちり半袖に替えていたし、10月1日から長袖を着ていて、後戻りはしなかった。でも今は、そのへんがわりとゆるゆる。よく言えば臨機応変なんだけど。

季節ごとの決まり事や、行事といったものは、本質的にはどうでもいいようなことなのだろう。でもそれを、「どうでもよくない」とふんばってこなすことで、たとえば、生活とか人生といったものに、それなりのメリハリをつけていたのだ。
本質的にはどうでもいいようなことなのだから、どうでもいいじゃんと思ってしまったら、なし崩しにそういうものは消えて行ってしまう。
私の中ではすでにいろんな区切りやメリハリが消滅しているような気がする。

まあそれをいうなら、そもそも、私なんぞが存在していてすみませんね、というところなので、あんまり深く追究しないほうがよいのだろうと思われる。


どうも最近、大事なことや考えるべきことから無意識のうちに目をそらして見ないふりをしてしまっているような気がしてならないのだが、だからといって、そっちに目を向けるといろいろ大変なことが起こりそうな不穏な気持ちもあって、なんだかおさまりが悪い。
地面から10㎝くらい浮き上がっているような、落ち着かない、不安な心を持て余す日々が続く。