ばらばらの世界 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

先日の事故のことが、エンドレスで頭の中をループしております。
相手方の主張がとても受け入れられるようなものではなかったこともあり、理不尽だという思いがふつふつとわいてきているのです。

ふと、世の中の犯罪被害者の方たちの憤懣や苦痛はいかばかりか、と思いました。
私が被ったような単純な事故でさえ、相手方との主張の食い違いは発生し、「なんでだ、なぜそうなる?」というはらわたが煮えくり返るような怒りが、間断なくわいてくるのですから、もっと大きな、もっと大変な被害を受けた方たちは、そりゃあ、心もずたずたになるよなあ、と思ったのです。


ひとつ、心に引っかかりがあると、生活全般に影響を及ぼすものです。
他人のことでしたら、いくらでも、「いつまでもとらわれていてもしょうがないよ」とか「もう考えない方がいいよ」なんて言えるんですけど、いざ自分がそうなってみると、これほど難しいことはありません。

他の人がどうなのかわからないんですが、私は納得できないこと、傷ついたことがあると、いつまでも何度でも、頭の中で自動的にその情景、状況が再生されてしまいます。
気がつくと、延々と脳内で相手方に対して反論をぶつけていたりする。
もちろん答えはありませんから、だんだんエスカレートしますし、答えがないことへのフラストレーションもたまっていきます。

この自動再生を止めるのが、ほんとに難しい。
気が付くと再生が始まっているので、「おお、いかんいかん」と思ってストップをかけるんですが、なかなか止まらないんですねえ。一時停止くらいにしかなりません。しばらくすると、また再生が始まる。


そういう状況の中でも、予定は着々と進行していきます。
今朝は、小学校でストーリーテリングをすることになっていました。

もう何度も語っているおはなしですし、自分でも好きな話だったのですが、事故のあとから、それが全然心に入ってこなくなりました。
練習していても、浮かんでくる情景は薄いし、すぐに言葉につまったり、飛ばしたり、忘れたりしてしまいます。
これは、いつも以上に気を引き締めていかないといけないなと思って、小学校へ向かったのですが。


……さんざんな結果でした。
とりあえず、最後まで忘れずにお話を語ることはできたのですが、なんというか、話すそばから、言葉や情景がバラバラに壊れて飛び散っていくような感じだったんですね。
うまく行くときは、教室中がそのお話の世界に包み込まれて、語る私もとても楽しくなれるんですが、今日はだめでした。ほんと、子どもたちに申し訳ないくらいだめでした。
語り手の精神状態って、如実に反映するんですよね。
それでも熱心に聞いていてくれた子もいるので、そういう子の存在にすがって語り終えたようなものです。


おのれの未熟さを痛感しました。
自分の身に起きたことと、今日おはなしを聞いてくれた子どもたちとは、なんの関係もありません。語る以上は、ちゃんとお話の世界を届けたかった。

ふわふわしてちゃいけないなと思いました。
脳内自動再生システムは、強制終了させないとね。

世の中には理不尽なこと、すっきりしないこと、腹立たしいことは山ほどある。
なんでもかんでも、自分の思い通りになるわけじゃないのだ、と。
逆に言えば、なんでもかんでも相手の思い通りにする必要もないってことなんですけどね。

気を取り直して、がんばろっと。