迷子 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

最近の悩み。

ブログで何を書くかが決まらない。

自分の中でのブログの位置づけが、少しずつ変わってきているような気がする。

誰に頼まれたわけでもなく、商売でもないのに、2007年の開設以来、毎日ずっと更新を続けてきた。
今では、更新することに意味があるような、そんな気持ちにすらなっている。

最初は、書きたいこと、言いたいことがあって、それを発表する場としてブログを位置付けていた。
ノートに手書き、でもいいのだが、そしてそれは14歳から延々続けてきたのだが、ノートに書いたものは「公開」という機能がない。基本的には誰にも見せないのが日記というものだ。

しかし、ブログは、オープンである。
アメーバブログは、アメーバブログ内で全体公開になっているし、今では検索ワードなどで、アメーバの外からもアクセスされることもある。
決してアクセス数は多くないし、有名なブログでもないから、ものすごくたくさんの人が見てるというわけではないのだが、手書きのノートのように「まったくゼロ」というわけでもない。
なんとなく、あいまいな感じで、オープンになってる、というイメージである。

その、「なんとなく、オープンである」(もしかしたら誰かが読むかもしれない)という属性がいいなと思って、細々とブログを書き続けてきたのである。


8年も続けていると、だいたい自分の言いたいことは書きつくした感がある。
もちろん、日々新しい出来事に出会い、その都度思うことはあるんだけれども、結局自分の考え方がさほど変化していないので、行きつく先は似たようなものになる。

そういうことに飽きてしまったのかなあ。

それと、ここがいちばん重要なのだが、ブログだと固有名詞が出せない。詳しい事情を書くこともできない。
それは、ブログがオープンなものである、という属性のためである。
自分がどこかへ出かけて行ったとか、何かを見た、という話なら、その行先や見たものは公開されているものであれば、具体的に書くことはできる。
しかし、自分がやっていること、というのは、それに関係する人もいるために、あまり詳しく書くことができない。
それはやっぱり「ネット」だから。
どういう形で波及していくのかが想定できないので、うかつなことは書けないわけだ。

私が、自分自身のことをオープンにしている立場の人間であるならまた話は違ってくるけれども、現状、私は著名人でもないし、商売もしていないので、自分の情報をオープンにする必要性がない。
でも、こんなことをした、これからこんなことをしたい、というような話を書きたくなることもある。そういうときに、ふと、手が止まってしまうんだよなあ。



とまあ、こんなことだけでつらつらブログを埋めている今日この頃である。

3月に、新しいことに挑戦することになった。
まだ、海のものとも山のものともしれない企画なので、どうなっていくのか見当もつかないが、言いだしっぺの人の情熱がかなり強いので、もしかしたらもしかするかもしれない。

やってみたい、と思ったことはどんどんやろうと思っている。
思っているけど、時々、キャパオーバーしてんじゃないか?と不安になる。
大丈夫か、あたし。なんか調子に乗ってるだけのような気もして、ちと恐ろしい。