資格なし | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

阪神大震災から20年ということで、メディアではいろんな特集を組んでいる。


いつも思うこと。
私には、こういう、大きな出来事にコミットする資格がない。
どういうことかといえば。

たとえば阪神大震災。私は直接被災してない。じゃあ、まったく無関係だったかというと、そうでもなくて。
昔付き合ってた人の故郷が神戸だったのだ。別れた後も、ずっと心に残ってる人だったので、テレビで災害の状況を見た時には、胸がつぶれそうだった。
ずっと後になって、彼の実家は被害を免れたと知ったが、当時は情報が入ってくるあてがまったくなくて、ただただ、遠くから心配するしか手がなかった。
後ろめたく思いながらも、家計から、わずかばかりの募金をしたりしてたっけ。
後ろめたかったのは、当時専業主婦で、家計から、自分の気持ちのためにお金を出すのはよくないと思っていたからだ。
惨状を知るにつれて、どんどんつらい気持ちが増えていったけど、でも、私がつらいと思うなんておこがましいとも思っていた。
なんの被害も受けてなくて、なんにも困ってないくせに、なんでお前が「つらい」なんて思えるんだよ、と、そんなふうに思ってた。
でも、あの、横倒しになった高速道路や、次々に伝えられる避難所での様々な出来事は、私の心に突き刺さっていった。
今でも、あの当時の写真や映像や、人々の話を見聞きするのを、なんとなく避けてしまう。
見聞きしたら、どうしようもなく気がめいってしまうから。
そして、気が滅入っているということすら、許されないことのように思ってしまうから。
慰めてもらえるようなことでもなく、むしろ「なんで関係のないお前が、わがことのように胸を痛めるのか」と怒られてしまいそうだから。


これは、東日本大震災のときも、同じように思った。
私が住んでいるあたりは、ほんのちょっとしか揺れなかった。
地震の被害も、原発事故の影響も、被災地に比べたらほとんどないも同じだった。
いや、気にしたり騒いだりしてる人はいるけど、数値的に見たら圧倒的に「なんでもない」
つまり、被害の程度が全然違うのだ。
だから、当事者のように、嘆いたり苦しんだりすることができない。そんな資格ないと思ってしまう。
でも、あの映像、延々と繰り返し流れた津波の映像、あるいは、地震で揺れている映像は、つらかった。もう二度と見たくないと思う。うっかり見てしまうと、あの時の精神状態がぶり返してきて、なんていうか、落ち着かなくなる。
冷や汗も出るし、どうかすると吐き気がしたりもする。動悸もするし、うん、つまりショック症状みたいなのが出るのだ。
実際にはなんの被害も受けてないのに、こんなふうになってしまうのが、心底申し訳ないと思うし、おこがましいと思う。だから、表面化しないように気を付けてる。
しんどいけど、しんどいって言っちゃいけないと思うのがしんどい。


ツイッターでよく見かけるような話題、ワーキングマザーの問題だったり、発達障害や聴覚障害などの障害に絡む問題だったり、フェミニズムに関係する問題だったりするんだけど、そういうものに強い関心を抱いているのに、どれも自分が直接該当しないために、当事者としてものをいうことができない。
いろいろ思うことはあっても、当事者ではない、という壁は厚いのだ。
「はたから、第三者が勝手なことを言い散らかしてる」という状態は、非常にみっともないし、迷惑な行為だと思っているから、自分がそういうことをするわけにもいかない。
でも、思うことはいっぱいあるんだよ。
そして、ほんのちょっとかすってることは、自分にもあったりするのだ。
ちょっとだけど、かすってるから、そういう話題が気になる。
でも、かすってるだけだから、あんまり深く踏み込んでものが言えない。
その、痛し痒しな状態が、しんどい。


20年、という時間が、何かの区切りになるものなんだろうか、と思う。
区切りにできるのは、その人の気持ちだけで、「なんで、どうして」と悲嘆にくれている間は、何十年たったって、気持ちに区切りなんてつけられないんじゃないかなと思う。
恨んだり、囚われたりしているのは、苦しい。でも、その苦しみにあえてすがってしまっている、ということだってあるんじゃないかなあ。だって、区切りをつけるっていうのも案外つらいことだったりもするからね。
「時間が止まっている」というか「時間を止めてしまっている」方が、変化しなくていいから、実は楽だったりもするんじゃないかなあ、なんてことも思う。
苦しさという楽。全然気持ちよくないし、楽しくもないけど、変化する苦しみよりまし、っていうことはあるかもしれない。


個人的には、「離婚」という経験をしてから20年たった。
今でも鮮明に思い出せるくらい、しんどい経験だったけど、自分の人生があの時から変わったんだなと思ったりもする。
でも、やっぱり、20年経ったからってなに?っていう気持ちの方が強いかな。