わたしはそれを語る言葉を持たない | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

昨日の午後2時からBSプレミアムにて、一色伸幸さん脚本の「ラジオ」というドラマが放映された。
これは去年のものの再放送。今までにもう7回も放送されてるそうだが、昨日のは89分完全版とのこと。
数日前にツイッターでその情報を知り(なんと一色さんご本人からリプライをもらった)、とても楽しみにしていた。
再放送の予定を知る前に、DVDの予約もしてしまっていて、ちょっと早まったかなとも思ったのだが、昨日の放送を見て、やはり予約してよかったと思った。きっとまた見たくなると思うから。

このドラマは、東日本大震災で被災した女川というところが舞台になっている。
震災から1年後の物語。原作は「某ちゃん」という女子高生のブログである。


映像を見る前に私は、文字でこの物語を知った。
月刊「ドラマ」にシナリオが掲載されていたのだ。
私はこれを読んで初めて「シナリオを読んで泣く」という体験をした。
なぜ泣いたのかわからない。でも決して、同情とかそういう類の感情ではないと思う。
シナリオで泣いたのは、某ちゃんがラジオの音楽を通じて知らない人と気持ちが通じた!と思った瞬間のシーンだった。
絶望して立ち尽くしていた人が、細くかすかな希望の光に出会って動き始める瞬間に、強く心を動かされたのだ。

そして今日、この文字でしか知らなかった物語を、映像で見た。
まるでドキュメンタリーのような映像で、出てくる人たちは、フィクションなんだけど確かにそこに生きてる人たちだった。
具体的な風景が映り、実際に音楽が流れ、実際に言葉が発せられていた。
全然泣くつもりなんてなかったのに、気づいたら涙が止まらなくなっていた。時には笑いながら泣いた。

でも、私が泣いたことには実はなんの価値もない。そこに意味があるわけじゃないのだ。
たぶん今日私が流した涙は、「年をとって涙もろくなったこと」や「勝手な感情移入」の結果だったと思うから。
あのドラマは別に同情を買おうとして作られているわけじゃない。むしろ、安易な同情をきっぱり拒んでいる。
たった一日だけ、「かわいそうだよね」なんて思われたってなんにもならない。


私は3年前の震災のときから今まで、そのことについて直接何かを語ったことはない。
何か行動を起こしたわけでもない。
震災から派生した原発事故の、さらにまたその先に派生した問題については少しだけ語ったことはあるけど、直接あの震災に関して何か発言したことはない。

私にはその資格も権利もないと思っていたから。
私はあの地方にまったく縁がない。知り合いもいないし、身内もいないし、行ったこともないし、たぶんこれから先も行かないだろうと思う。
私にとっては外国と同じくらい遠いところだ。
地震の被害も津波の被害も、そのあとの風評被害も、全部メディアからの又聞きに過ぎない。
どれだけ情報が入ってきたとしても、それを痛切に感じることはできない。
だから、私には何も語る資格はないと思ったのだ。

それでも、瓦礫の受け入れ反対運動が起きた時は歯噛みする思いだった。京都の送り火で使う薪の受け入れが拒否された時も、とても悔しかった。
小さな子供が「えんがちょ」するみたいな、汚いものを避けるような風潮が悲しかった。
そのちょっと前には、絆だの助け合いだのと歯が浮くようなきれいごとを唱えていただけに、よけいに悲しかった。

でも、私にはそれを悲しむ資格もないと思っていた。だって、いくら悲しいと思い、悔しいと思っても、私が瓦礫の受け入れを許可できるわけもなく、世の中に流れる誤解を解いて回ることができるわけもなかったから。
なにか言えばヒステリックに攻撃する人が現れる。
「子どもの未来を守る」という錦の御旗のもとで、あの地方を忌避する人たちの、とりつかれたような様子は、見ているだけでも恐ろしかった。
まるで人類史上初めて放射能が現れたかのような騒ぎぶりは、理性的な話し合いの余地すらないように思えた。

ドラマを見て、文字を読んでいる時には思いもしなかった場面で胸が締め付けられた。
それは、津波の被害を受けた場所が映っている場面だった。
某ちゃん一家や飛松さんが、めちゃくちゃになった自宅跡に立ち尽くしている。足元を埋め尽くすたくさんの物。水に浸かって、押し流されて、全部めちゃくちゃになっている。
「がれき」なんて一言で言うけど、確かにもう使えなくなってしまった物ばかりだけど、でもそれは決して「がれき」の一言で片付けられるものじゃなかった。
ほんのちょっと前まで、当たり前の日常の中で、当たり前に存在していた様々な物たち。
ドラマを見ながら、私は部屋の中を見回した。
たくさんの物に囲まれた毎日の生活。それが一瞬で「ごみ」になってしまう。
その衝撃を思うと、苦しくてたまらなくなった。
それでなくても、なかなか物を捨てられないタチなのに、否応なしに処分しなくてはならないものに変質してしまう状況を想像すると、体がちぎれるような痛みを感じる。
痛くて苦しくてたまらなかった。


「痛くて苦しくてたまらなかった」と書きながらも、私にそれを言う資格があるのか、と問う声が聞こえる。
結局のところ、私はあの震災ではなんにも被害を受けなかった。そんな者が、何を言う資格があるのだろう、と思ってしまう。


もうひとつ、強く心を揺さぶられたシーンがあった。
某ちゃんの書いたブログが拡散されて、突然膨大なアクセス数が出現したときのこと。
スマホの画面の下の方に、200万の単位の数字が出てて、某ちゃんがそれを見て驚く。
さらには、延々と続く恐ろしい内容のコメント。
一人の女の子が、自分の思ったことを書き綴ったブログに、見も知らぬ大量の人の言葉が集中する。その恐ろしさに、某ちゃんはオロオロする。
あのシーンは怖かった。
少し前に、はてなブログというところで、やはり一人の若い女の子の書いたエントリーが突然大量のアクセスを集めたことがあった。
私もそのときに彼女のブログを知ったのだが、その時の彼女の戸惑いぶりを思い出したのだ。
書いてあることをきちんと読み取らず、表面的に揚げ足を取り攻撃する。嘲笑する。侮蔑する。
あの浅ましさはいったいなんなのだろうと思う。
いわゆる「ネット民」と言われるような人たち(それもみな顔を持たない)の、単純で、それゆえにむきつけで雑駁な悪罵の数々。
あのシーンはほんとに恐ろしかった。
地震や津波が自然の脅威なら、ネットでの膨大なコメントは人の脅威だと思った。


もしあのとき、原発事故がなかったら、東北の人たちは単純な被災者であったのだろうか。
「がれき」の処理も、もっとスムーズにいったのだろうか。
起きてしまったことは変えられないから、そんな仮定はむなしいけれど、でも阪神大震災のときのことを思うと、さほど違わないのかもしれないとも思う。


どんな出来事があっても、人は毎日を生きていくしかない。
その時、その場で与えられた状況で、少しでもよくなろうと、歩いて行くしかない。
「ラジオ」というドラマは、そんな普遍的な真実を描いたドラマだと思った。

今でも私はあの災害について語る言葉を持たない。
励ますのもおこがましいと感じてしまうし、同情するのも違うと思ってしまう。
延々と放送され続ける津波の映像は、もちろん私の心に深く突き刺さったけれど、しょせんそんなのは映像という二次元のものであり、直接それを体験したわけではないから、安易な感情移入はするべきではないと思ってしまう。
でも、災害はいつどこで発生するかわからない。いつだって「明日は我が身だ」と思うから、せめて、同志的共感を持って、「なんとかがんばって歩いて行きましょうよ」と肩を並べるしかないと思う。

ドラマのラストでは、町を出たバスの中で、某ちゃんの聞いていたラジオの音がふいに途切れる。受信可能地域を出てしまったのだ。
そのときの、糸が切れるような痛みと、それでも強いまなざしで前を見つめている某ちゃんの佇まいがとても印象的だった。
ドラマの中で使われている音楽も非常に印象的で、特にあの「応援歌」がよかった。
よかったとしか言えないのがもどかしい。
見てるから、そばにいるから、おまえがんばれよ、と叫ぶ声が、いつまでも心に残る。
誰かが見ていてくれる、応援してくれている、という思いは、きっと応援してる人が思う以上に、応援されてる人を強く支えてくれるんだと思う。



                 チューリップ赤

ドラマを見た勢いで、つい書いてしまったけど、やっぱりうまく言えないなあと思う。
未だにどう考えていいのか、どうとらえればいいのかわからないでいるから。
震災直後にすぐさま行動を起こせた人もいるけど、私には何もできなかった。今でも何もできない。
それでも、ずっと途切れずに考えていくことなら、私にもできるのかもしれないとも思う。
ずっと考え続けていたら、いつかどこかへ到達するかもしれない。
到達しないかもしれないけど、でもたぶん、考えないよりはいいと信じよう。
1年に1回だけ思い出すより、ずっと日常的に思ってるほうがいいと信じよう。