真冬の祝祭 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

今日は、静岡芸術劇場でSPACの「真夏の夜の夢」を観て参りました。
野田版「真夏の夜の夢」を宮城聰演出で。

2011年の初演ではソールドアウトしたという伝説の舞台です。

なんと今日の座席は最前列どまんなかでございました。
ふだんなら特等席なんですけど、この舞台に関してはちょっとアレでございました。
というのも、舞台セットが大変高い。7mあるというステンレスパイプのはしごが林立し、役者さんたちがそこを自由自在に行き交うというお芝居。
最前列は舞台よりほんの少し低いために、芝居の間中ほとんどステージを見上げるような体勢になってしまいました。うーん。もうちょっと後ろの座席の方がよかったか。

しかし、最前列には最前列のメリットももちろんありまして、役者さんの熱演を最も身近に感じることができるのです。滝のように流れる汗も、磨き上げられた身体表現もつぶさに観ることができます。その迫力たるや、完全に芝居の中に取り込まれてしまうほど。
たっぷり舞台を堪能することができました。

原型の野田版「真夏の夜の夢」を見ていないので、具体的にどこが宮城さんオリジナルの演出なのかはわからないのですが、劇中で使用されている楽曲は完全にSPACオリジナルだと思います。
SPACでは、劇中の音楽、音響などを舞台上に設えられた演奏ブースで俳優が演奏しています。
スチールドラムやコンガ、笛、シロホンなどさまざまな楽器があって、それを入れ替わり立ちかわりで演奏するのです。この音楽がまずとてもいい。私は大好きです。
衣装も面白かったんですよね。初演のときはほんとに新聞紙を使って衣装を作っていた(森の妖精たちの衣装です)そうなんですが、今回は布に新聞記事をプリントしたものを使っていました。
セットにも新聞紙が使われていました。これも面白かったなあ。

そういった、演出や舞台美術に関してはSPACオリジナルだったわけですが、セリフはやはり野田さんでしたねえ。
昨日観た芝居が鴻上さんで、今日が野田さんということで、その違いがやけにくっきり迫ってきました。
野田戯曲のセリフは、音とイメージが織りなす目もくらむような因果律。一つの言葉が次の言葉を生み、そこから広がる連想が次々と言葉を生み出していきます。いったいどこまで転がるのかと思わせておいて、うまいことクルッと元に戻るのです。はあ~、ここにつながるのか、これを引っ張り出してくるのかと、頭がくらくらするような快感に溺れます。

昨日の「トランス」もそうでしたが、野田版「真夏の夜の夢」もまた、劇中人物に感情移入することはできません。そういう芝居ではないのです。いや、鴻上作品よりももっと感情移入しにくいかもしれません。でもそれでいいんですね。感情移入するよりも、役者の表現を楽しむことの方が重要になってくるのです。
まあほんとに、体操選手かサーカスかっていうくらい、アクロバティックな演技が続きました。さすがSPACだなあと思いながら見てたんですけども、それでも時々「うわあ、大変そう」と思うようなポーズで長々と静止する場面もありました。それを美しく見せてくれるところがまたすごいんですけども。

賑やかで、きらびやかで、反転反転また反転の息もつかせぬ展開で、あっという間の2時間でした。楽しい時間ってどうしてこんなに早く過ぎてしまうんでしょうね。


終演後に、バックステージツアーに参加してきました。
なんと、あの舞台の上に上がらせてもらったんですよ。セットや楽器などを触らせてくれたり、仕掛けを説明してくれたりしたんですが、私は舞台に上がった時に振り返って客席の方を見てみました。だって、こんな機会でもないと、静岡芸術劇場の舞台から客席を見ることなんてできませんもんね。すり鉢状に並んだ客席を見て密かに感動してました。
入ることはできませんでしたが、舞台袖を垣間見ることもできて、これまた感動。
「ああ、演劇を作ってる現場だ~」としみじみ思いました。

2日続けてハイクオリティの芝居を見てしまい、頭が演劇脳になってしまいましたわ(笑)
シナリオに戻るのに苦労しそう(;^_^A


劇場を出るときに見えた絶景。

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雪を抱く富士が夕日に染まってバラ色に輝いていました。