遠い日の花火 | 10月の蝉

10月の蝉

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私はいない派!

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この場合の「好き」は恋愛感情限定ですけども。
恋愛じゃなくて好きな人はいっぱいいます。身内や友人や知り合い、だいたい好き。
もともと人を嫌うのが苦手なので、「ちょっとこの人は苦手だなあ」と思うことはあっても、「嫌い」までいくことはめったにありません。

恋愛感情での「好きな人」は、考えてみたらもうずいぶん長いこといないですねえ。
今の夫と出会った頃が最後だったかもしれません。とすると……おお、十数年前!

半世紀に渡る人生を振り返ってみますと、やはり恋愛のピークは10代から20代でしたねえ。
生物学的にも、さもありなんという感じ(笑)

ちょっと話はそれますけど、中学高校あたりで、「今は恋愛なんかにうつつを抜かすときじゃない」みたいなことをよく言いますね、周囲の大人が。
高校受験が終わったら、とか、大学受験が終わったら、ってなことで先送りさせようとしますけど。
あれもどうなんでしょうねえ。正しい時期にきちんと恋愛感情に向き合わないと、あとになってからでは手遅れになりはしないでしょうか。

幼児期における早期教育では、「今を逃すともう手遅れです」ってなことを言って煽りますよね。実際、臨界期という事実もありますから、ある一定の時期にある一定の学習が必要になることもあるでしょう。言語ですとか、音感ですとかね。
恋愛もそれと同じなんじゃないか、と、枯淡の境地に達しつつあるこのごろ、思うようになりましたよ。

10代、20代の、感性がみずみずしいうちに、人を恋うることを知るのは、生きていく上で非常に大切なことだと思います。
「いつ恋愛するの? 今でしょ」って感じ。
なのに、周囲の大人(親とか先生とか)は、どうにかしてそれを抑圧しようとするものなのです。
あれはね、ほとんどが無意識の妬みなんじゃないかと思うことがあります。
かつては自分たちもそういう怒涛のエネルギーに翻弄された時代があったことをすっかり忘れてしまい、現在の枯れ果てた感性でもって子どもを計ろうとする。

そういえば今朝読んだ新聞に、ちょっと気になる記述がありました。
毎日新聞の連載記事「恋活」の、「おうちで性教育」という記事。子どもに、性について語りはじめた親の話が紹介されていました。
気になったのは、「副編集長の一言」。この方は、親として子どもに性教育をしていない、と書いたあとで「余計な好奇心を植えつけないかと考えてしまったり」と書かれています。
この「余計な好奇心」ってやつね。これがひっかかりました。
余計。余計ってなんでしょう。どういうことを余計と思うのか。
子どもに、性について語り始めたら、子どもが好奇心を刺激されてしまって、アブノーマルな方へ走るんじゃないか、と思うのでしょうか。それとも、「なんか面白そうだから自分もやってみよう」と不純異性交遊に走るんじゃないか、と思うのでしょうか。
こういう心配の仕方をする人は、たいてい、その心配の中身は具体性に欠けています。
漠然としたイメージ、乱交とか、手当たりしだいにセックスしまくる、みたいなイメージを持つんでしょうかね。
だとしたらそれは、語り方がまずかっただけで、語ることそのものが悪い訳じゃないと思うんですよ。
結局、語る親の方の覚悟が問われる問題なんですよね。
まあ、偉そうに言ってますけど、私も娘にきちんと性について語ったことはありません。それは自分がちゃんとしてないからなんですけどね。子どもに語れるほど確固とした価値観を持っているわけじゃないから、ちゃんと語れないのです。

人は大人になってしまうと、子どもを理想化し、美化してしまいがちなのかもしれません。
「純真な子ども」「純粋無垢な子ども」として扱いたくなる。
確かに、乳幼児期の子どもの神聖さには、思わずひれ伏してしまいたくなるものがあります。
でも、その神聖さは、つまるところ、性徴がないがゆえの神聖さであり、まともに成長しているならいつかは必ず、性の問題に直面しなくてはならないのです。それが成長ということなのですから。
にも関わらず、「子ども」を大人の汚い世界から守らなくては、などと思い込んで、なんとかして性から遠ざけようとする。勉強やスポーツなどに打ち込ませることで、そこから目をそらせようとするわけです。

でもね。
やっぱり恋愛が輝くのは、10代20代だと思います。
あのころの、ひたむきで、必死で、純粋で、そして愚かな感情の高まりは、なにものにも代えがたい。
ある人を、なぜかわからないけど、「すごくいい!」と思う。それが「好き」という感情です。
苦しくて、でも楽しくて、辛くて、でも幸せで。
今振り返ると、あのころはなんてバカだったんだろう、と思います。
周囲の若い人の恋愛沙汰を見ていても、なんて愚かなんだろうと思います。
しかし、その愚かさこそが、恋愛の本質なのでしょう。

年齢を重ねると、余計な知恵が身につきます。先も多少は見当がつくようになるし、保身やら、自己憐憫やら、醜い独占欲やら、支配欲やら、所有欲やら、余分なものばかりがまとわりついてきます。大人の恋愛は打算と保身から逃れられないようになるのです。

なんかやたら若いころの恋愛を美化しちゃってる私ですが(笑)、私にとっての恋愛は、遠い日に見た花火のように、記憶のベールに包まれてぼんやり光っているのみです。
なんかすごく綺麗だったんだよなあ、という、あわい追憶の彼方に存在するもの。


                  打ち上げ花火


ま、ぶっちゃけいえば、今更「惚れた腫れた」の恋愛沙汰はしんどい、というのが本音ですかね。生身の恋愛はいいことばかりじゃないし。
手の届かないところにいる芸能人あたりに、うっすらとときめくくらいがちょうどいいですね。
リアルはもういいや。
その点、作家の渡辺淳一さんはすごいですよね。御年80にならんとするのに未だに現役で性愛の現場に立とうとされているんですから。
渡辺淳一さんの作品は初期の医学もののときはとても好きでよく読んでいたのですが、性愛方面にシフトチェンジされてからは手が出なくなりました。な~んか読んでてアホらしくなってしまって。私はそこまで性愛に固執できないみたいです。


ああ、でも最後に書いておこうかな。
好きな人というか、ときめくのは、岡田准一くんです。テレビで姿を見かけると、うわっと気持ちが浮き立ちますもんねラブラブ!





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