再びのルドン | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

確か一度見たはずだと思って、自分のブログを検索したら。
ありました、ありました。
2011年の10月に浜松まで観に行っておりますね。
このときは、岐阜県美術館所蔵の作品が、美術館の工事のために全国漫遊の旅に出ており、それが浜松市美術館に立ち寄っていた、ということでありました。
さらにいえば、展覧会のテーマも「ルドンとその周辺」ということでした。

今回静岡市美術館で開催されるのは、ボルドー美術館からの出品もあるようで、がっつりルドン、という感じになるみたいです。
浜松で出会った作品にもう一度会えるのは楽しみですな。

6月29日から開催ということで、翌30日には浅間神社で輪くぐりの行事があるとか。
それにからんで、浅間神社商店街でイベントもあるようです。
知り合いのパフォーマーさんが出演するという情報もあるので、ちょっくら出かけてこようかなと。そんなことを目論んでおります。

先日は、ポール・デルヴォーを見てきて、その幻想的な作品に魅了されました。
女性のドレスが大変精密に描かれてましてね。あの、レースの透けてる感とか、重なってしっとりとした重みのある感じとか、そこは非常にリアルな感じなんです。
それなのに、全体を見ると、まるで夢のなかのように、整合性に欠ける世界。
一つ一つはリアリティを持って描かれているのに、世界観というか、縮尺が全然あってない。その歪みが奇妙な感覚をもたらします。

ほんとに、絵画というのは不思議なジャンルですね。
「絵を描く」という行為が内包するものっていったいなんなんでしょう。
実際の風景や静物を見て描く、といっても、決してそのとおりにはなりません。そもそも三次元を二次元に移している時点で歪みが生じるわけですが、それをのけても、まるで写真のように寸分の狂いもなく写しとる人もいれば、どーしてこうなった、と頭を抱えたくなるような描き方になってしまう人もいるわけです。
さらには、現実にはない光景を描いてみたり、はては、抽象化して線だの面だの点だのと、わけのわからない状態をキャンバスの上に創りだしてみたり。
出来上がった作品をみて、「いったいこの作家はなにをどうしたかったのだろう」と思うこともよくあるのです。特に現代美術においては。
かろうじて私にも推測できることといえば、「この人は、どうしても、こういう形で、世界を表現したかったんだろうな」ということだけ。
なぜこの形なのか。なぜこの線なのか。なぜこの色なのか、構図なのか。そして、なぜここで完成であると思ったのか。
そういうことを思いながら絵を観ると、実に面白いのです。

ルドンは特にあの黒の時代が興味深いですわね。なぜこうなんだろう、という。

今一度ルドンに出会えることが、今から楽しみでなりません。