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お金と時間、どっちが大事? ブログネタ:お金と時間、どっちが大事? 参加中

私は時間派!

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「時は金なり」っていうのは、「お金と時間、どっちが大事?」っていう意味じゃないと思うんですけどね(笑) 
金(きん)というのは、人類にとっては非常に貴重なものなんですね。希少価値からなのか、その色合い風合い(キラキラ光るという)のせいなのかはわかりませんが、とにかく珍重し重要視している、と。
そして時間というのは、それに匹敵するくらい貴重なものなんだよ、というのが「時は金なり」という言葉の意味じゃないかと思うんですよ。
だからこの質問は「仕事とあたしとどっちが大事なの?」という問いと同じくらい無意味(笑)


今の日本では、そしておそらく世界の大多数の国では、お金がないと暮らしていけないようになっています。そういうシステムを創りあげてしまったから。
ですから、お金は大事、というか必要不可欠なものです。
ときどき、「お金なんてなくても生きていける」という人がいますが、おそらくそれは単なる勘違いか、想像力の欠如なんじゃないですかね。人間社会から隔絶されたところでならお金はなくても暮らしていけるでしょうし、百歩譲って「田舎」のようなところで暮らすことを想定した場合に本人が金銭を所持していない状態はありかもしれませんが、社会全体としてはやはり金銭の存在は必要です。人間はたったひとりで生きてるわけじゃない、というのはこういう場合にも使うと思うんですよね。

というわけで、お金は当然大事なものです。
そして、同じくらい時間も大事。

今書いててふと疑問に思ったんですけど、「大事」ってどういう意味なんですかね。
だって、どっちも大事に決まってんじゃないですか。
大事ってことは、大切ってことで、それはつまり、必要であり貴重であるということですよね。
どちらを丁寧に扱うか?という問題なんでしょうか。

ああ、それならわからなくもないか。
お金を大切に扱うか、時間を大切に扱うか。
どっちも、つい無駄遣いしてしまいがちですもんねえ。
お金は目に見えるだけに、まだ無駄遣いに気をつけようとも思えますが、時間は目に見えませんからついつい無駄遣いしてしまうものです。
私も今までどれだけ時間を無駄遣いしてきたことか。
「明日がある」とか「いつかきっと」なんていうワードは無駄遣いのフラグもいいとこ。
「明日」があるかどうかはわからないし、「いつか」なんてたぶんないんです。
あるのは常に、「今」。
そう考えると、林修先生の「今でしょ」がここまで流行ったのもわからなくはないですね。
実際は一度しか授業で言ったことがないらしいんですが、こんなに人の心に突き刺さる言葉はないと思います。
いいにつけ悪いにつけ、ドキッとさせられる言葉。
多分誰しもが無意識のうちに気づいていることなんでしょうね。常に「今」という時間しかないということに。
今、今、今、の積み重ねが歴史を作っていく。

若いころは、「死」について考えてもたぶんに観念的なものでありました。
死後の世界がどうとか、霊がどうとか、そんなことを思うのは、死が現実のものだと思っていなかったからです。
年をとるに連れてだんだんに死が現実味を帯びて来ました。
テレビでよく見ていた芸能人が次々にこの世を去ったり、身近な人が少しずついなくなったりすることで、死が現実のものとして感じられるようになったのです。
先日テレビで、流通ジャーナリストの金子哲雄さんの話を見ました。お金の使い方ということで取り上げられていたのですが、死が迫ってくる様子を告げる画面に心底おじけづきました。
陳腐な言い方になりますが、「死ぬのは怖いな」と思ったんです。やはり死の直前に肉体的苦痛が大きいのは恐ろしい。とりわけ、呼吸が苦しくなる状態というのは、想像するだけでも恐ろしいものです。

改めて考えてみれば、「死ぬ」とは「呼吸をしなくなること」であります。もちろんそれだけではありませんが。
ふだんまったく意識せずに行なっている呼吸。酸素と二酸化炭素の置換。これができなくなる、止まるという状態を具体的に想像すると、とたんに死ぬことが怖くなってくるのです。
私は水がとても怖いんですが、これは「水中では呼吸できない」からなんですね。
閉所が怖いのもおそらく、酸素不足への恐怖が根底にあるんじゃないかと思います。

死を具体的に想定できるようになってから、いきなり死が恐ろしくなりました。
私は霊や死後の世界を信じていませんので、そこに救いを求めることはできません。
というより、死んでまで何かが継続していくとしたら、そのほうがよほど恐ろしいです。
せっかく(という言い方も変ですけど)死んだのに、まだ霊として存在していなくてはならないとか、また別の世界で存在していかなくてはならないなんて、どんな罰かと思います。
それより、生きている状態から死んでいる状態への変化が怖いんですね。
その大きな一線を越える時って、いったいどんなふうになってしまうんだろう、と。
それこそ「死んでしまうくらい」怖いんだろな、なんて思ってしまいます。

子どもを産んだ時もそうでした。特に初めて出産に挑んだ時。
まったく経験したことのない苦痛が次から次へと襲いかかってくるのです。それこそ死んでしまうんじゃないかと思うくらいの苦痛激痛。大きな不安と恐れの中で、それでも一度始まってしまったらもう途中で引き返せないし、無様でもなんでも、とにかく一線を越えるしかなかったんですね。
よく「母は強し」てなことをいいますけどね。そりゃ一度死線に近いところを越えてきた者は、どこか開き直らざるをえないんですから強いに決まってますよね。

出産はまだ、自分が「生」の世界にとどまっていますからいいんですけど、「死」は一方通行です。ほんとに死んでしまったらもう戻っては来られません。戻ってきた人はあくまでも「死にそうになった」だけです。

行ったきりになってしまうこと。その取り返しのつかなさ。そこが怖いというのありますね。
生きてる間はとにかく生きてるので、時間がどんどん流れていきます。
ぼんやりしてても、怠惰に過ごしても時間は過ぎる。
私がいつ死ぬのかはわかりませんが、カウントダウンの声が少しずつ大きくなってるような気がしてなりません。
個人的に病気で死ぬのか、事故で死ぬのか、犯罪に巻き込まれるのか、はたまた災害で死ぬのか。どんなふうに最後を迎えるのかわかりませんが、必ずそのときはくるんですよね。
待っているのが怖くて、いっそ早く来てしまえばいいのにと思うこともあります。
また逆に、それまでの時間をなんとか有意義に、大切に使わなくてはと思うこともあります。


でも、お金も大事ですよね。今の世の中で人間らしく、自分らしく生きていこうと思ったらお金がないとどうにもなりませんもん。金銭の所持だけを目的にはしたくないですが、必要なだけの金銭は欲しいと思います。¥







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