君の行く道は | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

このタイトルの後「果てしなく遠い」と歌ってしまったあなた。
同年代です。

歌が教科書に乗ったり、カバーされたり、ドラマもリメイクされているようですから、若い方でもご存知のかたがいらっしゃるかもしれませんね。

私は「若者たち」を白黒テレビでみていました。放送開始が1966年ですから、たぶんぎりぎり自前の記憶だと思います。
内容までは覚えていませんけどね(笑)
でも、放送時に流れる主題歌を聞いて、子どもながらに非常に物悲しく、呆然とするような気持ちになったものですよ。

だって、「果てしなく遠い」のに、「なぜ歯を食いしばり」「君は行くのか」ですよ?
たった6歳、まだ学校へもあがっていなかった私にとって、人生というやつはまだその片鱗すら感じさせていませんでした。
それなのにドラマは言うのです。君の行く道は果てしなく遠いよ、と。
はっきりと認識はできずとも、「そうか、生きるということは長い道のりを、歯を食いしばりながら、それでも歩いていかねばならないものなんだな」という思いは胸のどこかにしっかり残ったのでした。


その後、そんな記憶は心の奥底に沈んだまま、幾年月が流れました。
私は最初の結婚をし、子育てしていました。子育てにまつわるあれこれは省略しますけど、とにかく小さい子供の相手というのは、まともに物を考える能力をなくさせますね。毎日、目の前の出来事に対応していくのが精一杯でした。

しかし、子どもは必ず成長します。
それまでは、母子一体幻想による「我が身の延長」だった我が子が、徐々に独立して自分の人生を歩き出そうとします。
それが9歳、10歳くらいのとき。
小学校に入学して1,2年というのは、子ども自身も周囲の状況をきちんと把握することはできません。誰かにいじめられた、という話があったとしても、それが継続するとか、根の深い問題にはなりにくいのです。あまりに子どもが幼すぎて。
ところが、3年、4年くらいになると事情が変わってきます。周りのことがだんだん見えてくるんですね。そうすると、徐々に人間関係の悩みが生まれてくる。
「あの子が意地悪した」という単純な図式ではなく、複雑に関係がからみ合って一筋縄ではいかない問題が生まれてくるのです。

当然、子どもは悩みます。どうしたらいいんだろう、どう解決したらいいんだろう。そうやって悩んで解決策を探していくことこそが、学校生活の重要な役目の一つではあるんですが、それを見ている親としては、非常にやきもきするところでもあるのです。
先生がこういった、それを受けて誰それちゃんがこうした、そうしたら何々ちゃんがこうなった、というような因果関係のもつれに頭を悩ますわが子をみて、なんとか手助けしたいと思ってしまうのが親としての人情でもあります。

昨今はここで本当に親がしゃしゃりでてしまうという、いわゆる「モンスターペアレント」という存在が注目されています。自分の親がぐっとこらえていたことを、自分はこらえることができない、という意味で問題だと私は思っているのですが、それはちょっと別の話。

小さな胸をいためているわが子を見るのは、親としても辛いところです。でも、もしここで手を貸してやって、当面の問題が解決したとしても、この先起きるすべての問題を親が代わって解決してやれるわけではありません。
子どもの人生を親が代わって生きてやることはできない以上、どこかで子どもに委ねる決断をしなくてはならないのです。
そう、子どもの人生は子どものもの、という事実を明白に突きつけられる瞬間です。


娘が3年生くらいのときに、何かでいろいろ悩んでいたことがありました。
話を聞いてやるくらいしか私にできることはなく、ただやきもきと気をもんでいるだけの日々でした。そのときに思ったんですよ。
娘の人生はこれからまだずっと続いていくんだなあ、と。
いや、本当の人生はこれから始まるのだ。この先もっと辛いことや苦しいこと、悲しいこと悔しいことに出会っていくんだろう。もちろん嬉しいことや楽しいこともあるかもしれないけれども。それでもこの先、長い道のりを彼女は歩いていくのだ、と思ったら、なんだか可哀そうなような、痛ましいような気持ちになりました。
同時に自分の子供時代も思い出していました。同じくらいの年のとき、私はどんなふうに生きていたか。何を思い、何をしていたか。
なんだかあんまり楽しい時代ではなかったような気がするんですよね。子どもだからいろんな制限があって、いつも「子どもはつまんない」と思っていました。
辛いことや悲しいことがあっても、それを解決するすべを持っていませんでした。子どもならではの限界ということもありましたし、周囲の助けもありませんでしたからね。
そういう、自分の子供時代を思い出すと、二重に子どもが可哀そうに思えてくるのです。今がその「不自由な時代」なんだなあ、と思って。


子供時代の自分と、目の前の現役の子供時代のわが子を重ねて見たときに、あの歌を聞くと切なくて絶望的な気持ちになります。
歌は希望を歌い上げているはずなんですが、私には前半の「辛いけど行くしかないのだ」という暗い決意ばかりが伝わってきます。

昨日の記事で「親になんかなるもんじゃないよなあ」と思うことがある、と書きました。それは、こんなふうに、「辛いけど長い道のりを歩んでいかなくてはならないわが子を見守らなくてはならない、親という立場」に思いが及んだときのことなのです。
子どもが転ぶ、怪我をする、トラブルに巻き込まれる、そんな辛い体験をしているときに、ただ見ていることしかできない。
たぶん母親は生涯子どもとどこかでへその緒がつながっている感覚を持ち続けるんじゃないだろうか、と思うのですが、そのくらい、自分が苦しい。
子どもというのは母親にとって「外部自我」という側面を持っているのです。拡張自我とでもいいましょうか。頭では別人格だと理解していても、感覚として、自分の肉体の一部のように感じてしまうところがあるような気がします。
だから、子どもが痛い思いをすると、私も痛い。
しかし、理性は「子どもは別人格である」と警告してきます。
感覚と理性の間で引き裂かれるような思いをするときに、「親になんかなるもんじゃないよなあ」としみじみ思うのであります。


このような母親の感覚は、わりと美化されやすいものです。特に男性は、どうしても母親を特別視してしまう。そこから「家族の復権」というような思想へ流れて、「やっぱり家族がいちばん大事だよ」とか「家族で助け合うことがいちばんいい方法なんだ」という主張へつながっているように見えます。
でもねえ。そんないいことばかりじゃないと思うんですよねえ。
なんでもかんでも家族で片付けようとすることが、思わぬ歪みを生むこともよくあるし、なにより、同性どうしである母と娘では、関係や愛情がこじれたり歪んだりすることの弊害の方が大きいと思うんですよ。
「家族である」というのは、単なる事実に過ぎないのです。そこに過大な幻想を抱いたり、そのことで人を拘束しようとする発想は勘弁してもらいたいです。
たまさか幸福な家族関係で育ってこられた人には、そうでない人がいるということが想像できないようで、しごく単純、無邪気に「家族なんだから助け合わなくちゃ」とか「家族なんだからわかってくれるよ」と言い放ちます。
そうじゃないから苦労してるっていうのにねえ。
家族であるからこその呪縛や苦しみがある、ということもあると思います。


高齢出産で生んだ息子もはや3年生。そろそろ人生の苦味に気づき始めているようです。男の子だからまだまだ無邪気ですけどね。彼にもこれから先、長い道のりが待っているのでしょう。
長い道のりを、いろんな経験をしながら歩ける幸福、ということもあります。
歩けるだけ幸せなんだ、と思うようにしましょうかねえ。

空に日が昇れば、また歩き出すのでしょう。それが生きるっていうことなんでしょうね。せめて明るく手を振って、送り出してやりますかね。