停滞中 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

8位 蟹座

★今日の運勢
考え方がネガティブになり、気持ちが沈んでしまいがち。ただそれは、好転や飛躍が訪れる前兆と考えるのが正解です。安易に気晴らしをするよりは、なぜ前向きな考え方ができないのかを追求したほうがいいでしょう。

★今日のラッキーワード
ホウレン草



今日も占いを掲げてしまいましたが、冒頭の一行がなんとなく気持ちにフィットしてしまったんですね。


「安易に気晴らしするな」というお告げもあることだし、ちょっとこのネガティブモードを追求してみようかな。


去年を振り返ってみますと、いろんな意味で揺らいだ1年だったような気がします。

特にあの大震災に関しては、いまだに思考停止中であります。

白状するならば、私はこの件に関してはどうしても「何かしなくては」とか「私に何ができるだろう」とか、さらには「何もできない私ってだめだなあ」などということを、ついに一度も思うことができませんでした。

義援金を一度、学校のPTA絡みで出しただけ。

ボランティアに行った人も身近にいますし、ネットではそれこそ毎日のように積極的に関わった人たちの話を目にしました。

なにかにつけて「東北支援」「復興支援」という言葉が使われてますし、新聞には毎日のように被災地関連のニュースが掲載されています。

被害にあった人たちの話、立ち直ろうとしている人たちの話、まだ立ち直れない人の話、応援している人の話、人生が変わってしまった人たちの話……。

毎日のようにそういった情報を受け取りながらも、どこか遠い話のように感じてしまう。私にとっての東北は、タイやインドやニュージーランドやトルコなどの外国と同じくらい遠いのです。今までの人生で一度も関わったことがなく、おそらくこれからもずっと関わることはないであろう場所だと思えてならないのです。

だから、通り一遍の同情は持てますけど、でも私が同情したところでどうにもならないことははなっからわかっていることで。

そしていちばん強く思うのは、「明日は我が身」ということなのでした。

住んでいるのが静岡ということもあって、確実に次の大地震の被害地はここになるはず。とすれば、他人事のように同情している暇はなく、我がこととして考えなければならないわけです。


テレビで繰り返し流されたあの恐ろしい情景。あれが現実に自分の住んでいるところでも起こるのだ、と想像することは、思いの外無力感を強くさせます。

停止中とはいえ、静岡には浜岡原発もありますし、まあどう少なく見積もっても大災害になることは必定。

そんな中で生き残ることを考えるのはちょっとしんどいのであります。特に今苦労されている方たちの様子を見ていると、いっそうしんどさが募ります。

そうか、あんなにいろんなことで苦労するんだなあ、と。先行者の苦労を見ると、その後の自分の苦労の度合いが知れるというものです。

                

                  お茶


とまあ、こんなふうに考えてしまうのが、ネガティブモードたる所以なのかもしれません。


そもそも、このブログの存在意義ってなによ、ってなことまで考えてしまいますからね。ネガティブも堂に入っているというか(笑)

もちろん意義なんて偉そうなものはありませんで、ひたすら書きたいことを垂れ流しているにすぎないわけですが、時には批判にめげそうになったりもするわけですよ。名指しの批判ではなくて(それほどすごい存在じゃありませんw)、一般的にこういった素人の書き流す「どーでもいいような」「ブログとかいうような」文章に対して、著名な方や肩書きのある方がされる批判。「なんでわざわざそんなものを書くのだ」というようなことですね。そういうものにめげることがよくあるわけです。

「そーだよなー。なんであたしなんかが書いてるんだか」と。

連日更新にこだわったり、「あー、今日は何を書こうかなあ」などと悩んでみたりするときには特にそうです。

別に私が何を書こうと世の中に影響があるわけもなく、炎上などという恐ろしい事態も起こりようがなく。書きたいことを好きなだけ書き連ねておればよいのです。


でもきっと、それだけでは私の中にある「承認欲求」とやらが満足しないのでしょうね。誰か影響力のある人の目に留まりたい、そしてできることなら賞賛されたい、というようなイヤラシイ欲求があるのでしょう。

勢古浩爾さんという方の「人に認められなくてもいい 不安な時代の承認論」を読んだんですが、けっこうグサグサと突き刺さるものがありました。

最終的には、他人にどう思われようと自分で自分を認めることができればそれでいいのでしょう。誰になんと言われようと、「私はこれでいいのです」と言い切れるようになりたい。

時々はできるんですけどね~。ま、ときどき、です(笑)。


これから1~2年のうちに、ひとつ小説を完成させねばなりません。そういう契約を結んでしまったのです。でも、何を書くかが全然決まらない。いや、書いてみたいことはいくつかあるのですが、それがこの契約にふさわしいものなのかどうなのかがわからないでいます。でもどっちにしても書いてみないことには判断できないんですけどね。今年はこれを頑張ることにしようかなあ。


やりたいと思っていたはずのことがなかなかできない、というのはなんなんでしょうね。ほんとはやりたくなかったのかしら。やりだせば楽しくなることはわかっているのに、着手段階がいちばん億劫なのはどうしてでしょうね。

占いのとおり、「好転や飛躍の前兆」であってほしいと、切に願ってやみません。