八月の犬は二度吠える | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

ツイッターで見かけて、アマゾンで注文、今日届いた本。

鴻上尚史さんの「八月の犬は二度吠える」

気がついたら読みきってた。最後は涙ぼろぼろ流しながら。


青春の(この言葉はちょっと恥ずかしいね)バカバカしさと、それを通り過ぎた後のどうしようもない寂寥感が胸に残る。

馬鹿馬鹿しいことを真剣にやることが大事なんだ!という作者の叫びが聞こえてきそうな感じ。

でも現実は重い。24年も経ってしまえば、みんなそれぞれ抱えているものが増える。若い頃のいっとき交わった道は、その後大きく離れていってしまうものなのだ。


若い時の過ちってどうしてああも痛々しいのだろう。

理性ではだめだとわかっていても、抗うすべもなく衝動に押し流されてしまう。

恋も馬鹿騒ぎもなにもかも。


年をとって、若い頃の誰彼の消息を知るのはときどき怖くなる。

あのときの、あの小さな芽がそんなふうに枝を伸ばしていったのかと思い知らされたりするから。


読み終わって、ふとユーミンの歌が頭の中を流れた。

「9月の蝉しぐれ」という歌なんだけど、サビでこんなふうに歌う。

「大人になるっていうのは もう平気になる心 死にたいほど傷ついてもなつかしいこと」なんだろうか、教えて欲しい、と。

大人になるとはどういうことなんだろう。

あのころの不安や寄る辺ない気持ちは、大人になっても消えないんだけど。

とりあえず棚上げして、目先のことに集中するふりはできるようになったけど。


小説の中にもあったけど、「経験値だけは増える」のだ。いろんな場面での対処法は蓄積されていくけど、自分の中にある根本的な性向は変わらない。

不安をながめすかす術は上達したし、悟りすましたような言葉を吐く術も覚えた。

でもほんとは不安なままだし、実際はなにも悟っちゃいないんだ。


なんだかすごく心をゆさぶられた小説だった。