持っていくもの | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

棺の中に、何を入れたいか。

そんなことを考えてみました。


よく、その人の好きだったものや大事にしていたものを入れたりするというじゃないですか。お人形とか、手紙とか。バットとかクラブとか将棋盤とか水着とか(ほとんど口から出まかせですww)。

金属製品はご遠慮くださいと言われるらしいですね。燃えないから。

また、あんまり大量に入れるのもまずいらしいです。


私なら何がいいかなあ。

やっぱり本でしょうか。

持っている本の総数はわからないのですが、まあ、かなりの数です。本棚5本にいっぱいと入りきらない本を入れた段ボール箱が数個。

私が死んだらおそらく全部捨てられてしまうであろうと思っているのですが(だからその前になんとか古本屋へ持っていきたい、ということを以前書いた)、だったら一番好きな本を入れてもらおうと思いました。


で、ベストオブベストの1冊を選んでみようということに。

こういう選択って楽しいけど苦しいですね。苦しいけど楽しいです。

あの世まで持っていきたいほど好きな本。

う~~ん。


小松左京、筒井康隆、星新一、このSF御三家は私の宝なんですが、どうしても1冊ということであれば、「時の顔」(小松左京)でしょうか。大学に入っておそらく最初に買った本です。高校時代から星さんのショートショートやジュブナイル物は読んでいましたが、本格的なSFという意識で読んだのはたぶんこれが最初です。この本でがつんとSF的思考にやられました。「時の顔」は特に好きな作品なんです。


宮部みゆき、柴田よしき、加納朋子、松尾由美、有川浩、田辺聖子、氷室冴子、このあたりが大好きな女性作家なんですが、ここから1冊となると、やはり宮部さんでしょうか。それも「龍は眠る」。最初に読んだのは「われらが隣人の犯罪」だったと思うのですが、宮部さんの魅力にがっつりからめとられたのは「龍は眠る」を読んだときです。それ以来、もう作家の名前だけで即買いです。ほかの人も名前買いですけどね。


何度も何度も考えて、その結果が「時の顔」と「龍は眠る」でした。これ以上はしぼれない。なので、この2冊を入れてもらおうということに決めました。遺言で残そうかな。

(敬称略にて失礼します)



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こういう楽しい妄想に、自分で冷水をぶっかけるのもなんなんですが。

死者のおさめられた棺に、いろいろな物を入れるという行為は、かなり感情に訴えるものがあります。「これが好きだったんだよね。持っていってね」そう言いたくなる気持ちは私にもわかります。現に、義妹が亡くなった時、まあその時私には個人的な思い出がなかったのでお花を入れたのですが、それでも気持ちとしては「きれいなお花と一緒に逝ってね」というようなものでしたよ。

ごく近い身内でなければ、そこで死者とはお別れです。次に見るときは白木の箱に入っているでしょう。それならば、幻想は継続できます。

火葬場に行って、焼きあがるのを待ち、お骨を拾う、ということをすると、その幻想は崩れ去ります。ああ、さっき入れたものはこんなふうに灰になってしまうのだな、ということを目の前に突きつけられるからです。

こんなふうに身も蓋もない感じ方をするのはちょっとおかしいのかもしれません。お骨を拾いながらも、「天国へ一緒に持っていってくれたんだよね」と思える人の方が多いのでしょうから。でも、私には「ああ、燃えてしまった」というふうにしか思えなかった。とすると、私の体とともにあの大事な本も燃えてしまうということになります。しかも本の灰は骨壷には入れてもらえないんですよ。


やっぱり、棺の中には何も入れないでもらおうと思います。お花はかわいそうだけど一緒に燃えてもらうしかないか。

大事な本は、古本屋なり寄贈なりして、なんとか人の手に渡したい。これだけは死ぬ前にちゃんとしておかないとね。