人生の転機 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

人生の転機なんてそんなドラマチックなことは、私には無関係だと思っていた。ずーーっと同じような毎日が続いて、どうってことない平凡な一生を送るのだと、なんの根拠もなく思いこんでいた。


でも、今になって思い返してみると、確かにあれは転機だった、と思える出来事があった。

1995年という年は、社会的にも大きな出来事が続いた年だったけど、私にとっても大変な年であった。

きっかけは、1枚のポスター。「市民ミュージカル」の出演者募集のポスターだった。これを見たことで、私の人生は(おおげさにいうと)180度方向転換した。それまでのうつうつとした暗い人生が、がらっと変わって「まあ、なんとかなるでショ」というラテンのノリに変わったのである。

あの頃の日記を読み返すと、明らかに病んでいた。当時はただ悩んでいるだけだと思っていたが、よく乗り越えたなあと自分をほめてやりたくなる。


歌うことが好きだった。踊ることも好きだった。お芝居することにも興味があった。でもそんなこと全部忘れて、眉間にしわ寄せて、ため息ついて生きてた。息を止めて、深い海に潜ったまんま、じたばたしていたのだ。そんな不自然なこと、長く続くわけないよね。少しずつ水面に向けて上昇し始めていたのだと思う。そしてついにたどりついた1枚のポスター。


ミュージカルは楽しかった。舞台に立つ、という鳥肌モンの体験ができて、すっかり芝居づいてしまい、その後しばらくアマチュア劇団にかかわって、演出のまねごとをしたり、台本を書いたりした。



そうだ。こうやって言葉にしてみると、改めてよくわかる。激動の1995年以来、私はとてもしあわせな人生を送ってこれたのだ。

ずっと忘れようとして、見ないふりをしてきた「小説を書く」ということも再開した。


すべてはあの1枚のポスターから始まっていたのだ。

人生の転機なんて、どこに転がっているかわからないものである。それに手を伸ばすかどうかが大事なことなんだなと、今日ふと思ったのであった。