東海地方最大規模という竜ケ岩洞(りゅうがしどう)へ行ってきました。
全長400mの鍾乳洞は、年間気温18度という涼しさです。(総延長は1000m)
カーテン、フローストーン、ストロー、石柱、つらら石、石筍といった鍾乳石が続いています。場所によって、黄金柱、さざ波岩、雲上界、マリア観音、慈母観音、などさまざまな名前がつけられています。
圧巻は、数10メートル上の天井からなだれ落ちてくる黄金の滝。地底の大滝です。
ここは、浜松市引佐町の竜ケ石山の南麓。かつて採石場だったようです。
大正時代から、鍾乳洞の存在は地元では知られていたようですが、1981年に地主である戸田貞雄氏がこつこつと洞窟を整備し始めました。その後2人の洞窟愛好家が(!)戸田氏の許可を得て手堀で拡張作業をはじめたのだそうです。
そうして、苦労に苦労を重ね、2年半という月日を費やして、ついに一般公開へとこぎつけたのでした。
洞窟の中を歩いていると、その情熱に驚かされます。
ここの地層は2億5千万年前の秩父古生層の石灰岩地帯にあるのだそうです。
大きな岩が斜めに迫ってくる場所や、頭を打ちそうなくらい低いところ、地下水がこんこんと湧き出している泉、乳白色のつらら石と石筍が今まさにくっつこうとしている場所、水の流れをそのまま固めて時を止めたような岩、など、まさに地底の神秘に充ち溢れています。そんなところを、ひたすら掘り進める情熱は、いったいどこからわいてくるのでしょうか。地底の神秘とともに、人間の情熱の神秘もひしひしと伝わってくるのです。
世の中には、すばらしい業績を残した人がたくさんいます。
その業績が、金銭や社会的地位などのわかりやすいものであれば、周囲の人間も理解しやすいでしょう。しかし、この、洞窟掘りなどのような行為は、その真っ最中にはあれこれ批判されたのではないでしょうか。
今でこそ、その素晴らしさが認められ、観光客も呼べるようになりましたが、公開に至るまでの2年半は、厳しい状況だったのではないかと思いました。
自分に子供がいるせいか、世の中で名を上げた人を見るとつい、その親のことを思ってしまいます。前述のようにわかりやすく人々に共感されやすい分野で名をあげてくれれば親としても楽なわけですが、時として、「なんでそんなことするんだ」というようなこともありますよね。「いい学校へ行く、いい会社に入る、金持ちになる」という道を歩んでくれればいいのに、誰もやったことがない、金にもならないようなことに血道をあげる子供、というのは、親にとっては頭の痛い存在なんじゃないでしょうか。
たとえば、芸能の道を進みたい、とか、冒険家になりたい、と子供が言い出したら、たいていの親は「バカ言うんじゃない」と止めるのではありませんか。そういう話はよく聞きます。
まあ、親が止めたくらいでやめられるならそこまで、ということなんでしょうが、私自身はなんだかやみくもに止めたくはないよなあ、と思ってしまうのです。
畢竟、人生の価値は自分にしか決められないのです。
はたからどんなに助言したところで、それはあくまでも他人のものさしである。
悠久の時を過ごしてきた鍾乳石を見ながら、そんなことを思いました。