相似形 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

「仕事」についてずっと考えていたら、なんだか「生き方」とか「人生」と似てるような気がしてきた。


たとえば。

就職してすぐに「辞めたい」という人に対して、「そんなに簡単にやめちゃだめだ」とか「辛抱が肝心だ」とかいうでしょう? それって、結婚してすぐに離婚したいという人に言う言葉と同じじゃない?


たとえば。

「仕事なんて何やったっておんなじだよ。つまんないものなんだ」という言い方と。

「人生なんてね、つらいのが当たり前なのよ。楽しいことなんてないの」

処世術としては同じです。


「仕事」そのものは、わかりやすく楽しいものではないかもしれません。

山のようにある書類だったり、わけわかんないクレームの電話だったり、わたしは会社に勤めたことがないので想像するだけですが、他の方のブログを読ませていただくと、それはそれは大変なことがたくさんあるようです。


そんな中で。

少しでも自分に向いているところのある仕事なら、何かしら楽しみや面白みを引き出すことができるのではないか、と思うのです。現実に働いている方で、「きれいごとをいうな」と怒る人もいるかもしれないけど、ここでもやはり、他の方のブログを読むと、がんばってたり、誇りを持ってたり、仕事を楽しんでたりする人がいるじゃないか、と思うのです。

人生も同じ。

つまんないと思って過ごすのも一生。楽しんで過ごすのも一生なんです。


予防線を張るようなつもりで、「仕事なんておもしろくないに決まってるよ」とか、「生きるのはつらいことばかりだ」と、言うのでしょう。仕事は面白いもの、人生は楽しいものと思っていると、裏切られることが多くなりますからね。そうやって、防御するんです。でも、それは片方の面からみた事実にすぎない。

仕事を面白くないものと決めているのは自分です。生きるのをつらくしているのは自分です。面白くしようとすれば、なにかしら方法があるはず。現に面白がって仕事をしている人だっているわけだし。同じように生きることだって楽しめるはず。


「仕事」について考えていたつもりが、いつのまにか「生きる」ことを考えていました。「生きてることがつらいなあ」といつも思っていたけど、つらいと思うからつらいのかなあ。仕事なら、転職という手もあるけど、「生きる」のをやめるのは・・・。


       ドア


ちょっと違うことも考えた。

うちのダンナは「仕事はつまらない」派(派ってのも変だけど)なんだけど、人生もつまらないと思っているみたいだね。好奇心もあまりないし、生に対する執着心も薄いような気がする。や、ほんとのとこはわかんないけど。


中島みゆきさんの歌に「明日天気になれ」というのがある。

「なんにつけ一応は絶望的観測をするのが癖」という歌詞がすごく気に入ってるんだけど、「仕事はつまらないものだ」とか「生きるのはつらいことだ」と先回りして言うのは、この絶望的観測になるんじゃないのかね。



ところで、「専業主婦」っていうのは、仕事になるのかなあ。

金銭的報酬はないけどさ、衣食住には困らないよね。

一応、家庭を切り盛りしているんですが。細々とやることがあるんですよ、家の中って。何気に存在してますけど。

で、一応仕事、と定義しますと、主婦の仕事も同じことの繰り返しなんですね。

朝起きて、食事の支度、食べて片付け、掃除、洗濯、買い物して洗濯物の片付け、夕食の支度、食べて片付け。毎日これをやるわけですよ。

つまんない、と思ったらやってられません。

ま、主婦について語ると、話が変わっちゃうので、それは別の機会にしますが、

そんな主婦の仕事だって、楽しみを見出そうとすれば、おもしろがれるんです。



ヒトにおいて、「仕事」と「生きる」ことって不可分なんだと思う。