基礎はみんなあの頃にできていた | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

「されど青春の日々」のために、高1の頃の日記を読んでみた。

そして、そのあまりの進歩の無さに愕然とした。

考えてることの内容が今とほとんど変わらない。

もちろん、年相応に考えが広がった部分もあるけど、基本的な考え方はちっとも変ってない。

よくいえば、このころにすでに完成されていた、とも言えるけど、

う~ん、やっぱ、進歩してないんだな。

人間関係における、自分の位置の把握の仕方、とか、困難な状況にぶつかったときの反応とか、あと、恋愛に対する感覚とか。

そういうのが、「あれ、今と変わんねーじゃん」て感じ。

すぐ落ち込むし、ひねくれるし、ひがむし。すぐ極論に飛びつくし。

さみしがりのくせに、人恋しいし。でも、一人になりたがるし。

なんか、いやんなるな。

恋愛に関してだけは、進歩した。あるいは堕落した。

高校の頃って、潔癖じゃん? 理想とか高ーく掲げちゃってるし。

すぐ「許せない」とか「ありえない」とかになる。

それに関してだけは、許容範囲が広がったよ。

「結婚なんて絶対しない」と力説してたけど、あっさりしちゃったし、

「浮気は許せない」と思ってたけど、今では「人間そんなもんさ」と思うようになったしね。だから、日記の中で、「あの人は私のことをどう思っているのだろう」とか「どうしてあんな態度をとったんだろう」とか「好きなのかどうかわからない」とかって悩んでるのが、すごく微笑ましい。そうだ、あの頃はそういうことが一大関心事だったんだよな。

わかんないこと、知らないことがいっぱいあって、自分の気持ちすらはっきり把握できなくて、だから他人の気持ちなんてもっとわからなくて。右往左往してた。

今、ケイタイ小説とかに描かれている10代の子たちはもっと進んだところにいるんだろうな。扱ってる内容がそんな感じだ。それを思うと、自分は幼かったなと思う。

そこまで行く前の、目が合ったとか、「おはよう」って言えた、とか、手が触れたらもう心臓バクバクの世界だったよ。

あー、だから純愛が流行るのかな。