10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう


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      片山るんのページ



実を言うといまだかつて「七草がゆ」を食べたことがありません。

胃腸をいたわらなきゃいけないほどのごちそうを食べたこともないし(笑)

春の七草だけは知っています。

 

せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ

 

せりやなずな、すずな、すずしろあたりはまだいいんですけど、ほとけのざ。あれ食べるんですかね。ちょっと考えちゃいますわ。

・・・・・・・・おっと。今ググってみたところ、春の七草として食べるのはどうやら別の植物らしいです。コオニタビラコっていうんだって。なるほどね。

 

世間ではわりと一般的になってきたらしい家電2種。

全自動洗濯機と食洗機。

洗濯機のほうはドラム式と縦型の2種類があるようで、どっちがいいとかの論争もあるみたいです。食洗機は必須っていう意見も最近は多数派になってきたみたいですね。

うちにはどっちもありません。

洗濯機に関しては、ずっと二槽式を愛用しています。これは単なる好みというか習慣の問題。

洗濯物を分けて洗いたいという個人的なこだわりのせいです。あと、柔軟剤をかけるものとかけないものを分けたいっていうこだわり。

わたし、タオルがふわっふわなのが苦手なんですよ。なんかふわふわのタオルって吸水性が悪いような気がしていて、ちょっとごわっとした状態の方がすっと水を吸ってくれると思っています。これは昔の柔軟剤のイメージのせいかもしれないんですけどね。

献血に行くと最後にタオルをくれるんです。いいタオルなんですけど、圧倒的に水を吸わない。

何度洗ってもずっとやわらかくて、それはいいんだけど水を吸わない。手を拭いても、手に水気が残ってしまうのがいやで、しつこく洗っているんですけど半年くらいはだめなんですね。

世間的にはいいんだろうけど、個人的にはそのタオルで手を拭くたびに微妙にイラッとしてしまう。先日ももらってきたんですが、このタオルが気持ちよく水気を吸ってくれるまでにどのくらいかかるんでしょうね。

食洗機は、今住んでいる家を建てるときに標準装備でついていたのですが、わざわざ外してもらいました。そのスペースは備品置き場になっています。

良いって言いますよねえ、食洗機。でもなんか信じ切れなくてついつい手洗いしてしまいます。

わりと食器洗いが好きなんですよ。だから苦にならない。

それに、そもそもそんなにたくさんの食器を使わないので、食洗機に入れる手間と、さっと洗ってしまう手間を考えると、大差ないのかなあ、なんて思っています。

 

実家の母も長いこと二槽式の洗濯機を使っていました。これはまあ時代のせい。いい全自動洗濯機が出ていなかった時代ですからね。なので、近年はそっちに変えたみたいです。年を取ったということもあるみたいですけど。

だから私も、年を取って二槽式で洗濯するのが大変になってきたら買い換えるかもしれません。

「洗濯物」という大きなくくりで洗濯することに抵抗がなくなったらね。

 

 

「体にやさしいもの」ってなんですかね。

おかゆってやさしいのかしら。

 

 

 

 

 

 

年明け、体にやさしいもの食べた?

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ケーキといえばやっぱりイチゴのショートケーキがすぐに思い浮かびますが、チョコレートケーキも捨てがたい。

概念としての「ケーキ」を食べたいと思ったときは、イチゴのショートケーキ、実体としての「ケーキ」が食べたいときはチョコレートケーキ、って感じですかね。

 

イチゴのショートケーキといってもピンキリです。

スーパーのお菓子コーナーに並んでいる2つ入りのものから、ケーキ屋さんに並ぶ高価なケーキまでいろいろあります。イチゴも、高品質の生のイチゴがどっさり載っていてかつ、スポンジの間にもたくさん挟み込まれているものから、んー残念ながらやや等級が落ちるかなと思われる小さなイチゴが申し訳程度にのっかっていて、スポンジの間はイチゴジャム、っていうパターンまで、ほんとにピンキリです。

金に糸目をつけないで買えるなら、うんとお高い品を選んでみたい気持ちもあるんですが、同時に私の中のケチっ子がうごめいてしまうのです。食べたらみんな同じだよ、って。食べてしまったらそれで終わりなんだから同じなんじゃないのって。

実体としての「ケーキ」を食べることと、イメージとして「ケーキを食べている」ことのどっちを重視するか。

食べている瞬間は味覚が満たされて幸せになります。美味しいって思いながら食べるのは幸せですよね。でも、食べちゃったらそれで終わり、とも言えるわけで、だったらイメージで食べてもおんなじじゃないのかな、なんて思ってしまうわけです。

贅をこらしたお高いケーキも、手軽に入手できる安価なケーキも、食べてしまったらそれで終わり。そんなこと考えてたらケーキなんて食べられませんけどね(笑)

 

世の中にはもっといろんな種類のケーキがあります。私なんぞの想像力ではとうてい追いつかないくらいの多種多様なケーキが。

それでも、1回に食べられるのは一つ。3つも4つも同時に食べられるわけではありません。

カロリーの問題もありますし。となると結局選択肢が限られてしまって、なんだか毎度チョコレートケーキを選んでしまう私なのでした。好きだからいいんだけどね。

 

 

 

好きなケーキ教えて!

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始まる前は「長いな~」と思っていた年末年始休暇だったが、気づけば夫も息子も帰っていった。

夫は昨日、息子は今日、それぞれの居住地へ戻っていったのだ。

猫様にはちょっとストレスだったかもしれない。二人がいなくなったらなんだかやけにニャーニャー鳴いてうろうろしてる。

今回の年末年始は、思っていたよりストレスがなかった。イライラすることもなかったし、嫌な気持ちになることもなかった。

いろんなことをやめたり諦めたりしたからかもしれない。

以前は、「お正月くらいは朝みんなでお雑煮とか食べた方がいいんじゃないか」とか「年末には大掃除をしなくちゃいけないのではないか」とか「初詣は家族全員で行くべきなんじゃないか」とか「(私の)実家へ挨拶へ行かなくちゃいけないのではないか」など、千々に思いが乱れて苦しかった。どれ一つとしてスムーズに実行できたことがないからだ。

 

大掃除はここ数年ほぼしなくなった。昔はしゃかりきになってやっていたものだが、結局私一人がバタバタするだけだったし、大掃除したからといって何も得られるものはなかったからだ。

そりゃきれいにはなるんだろうが、そんなものはふだんからこまめに掃除していれば、特段年末だからといってするほどのことでもない。

私のイメージの中にあるのは、ドラマやアニメなどで描かれる「昭和の大掃除風景」であって、現実の自分の生活でそれが再現できるわけじゃないということに長いこと気づかなかった。

考えてみれば、自分が子どもの頃だって、年末の大掃除は大嫌いだった。母が一人でキリキリピリピリしていて、ぼんやりしていると叱り飛ばされ、何かやっても不手際を責められた。そうだ、あの時間は本当に嫌だったっけ。

アパートを借りている時代は、借り物だからという意識もあって、わりと丁寧にやっていた。でも持ち家になってからはだんだんやらなくなっていったなあ。「誰にも返さなくていい」と思うとやる気が失せてしまうのだ。

元日の朝の風景は、さすがに実家で経験していたのだが(朝、全員が集まって新年の挨拶をし、お屠蘇とか飲んでおせちを食べる、みたいな)、これを自分が実行するとなるととんでもなく難しいことがわかった。第一私はおせちを作れない。かろうじてお雑煮は作れるけれども。

元日の朝に家族全員集合できる、ということだけでも、ずいぶん難しいことなのだと思い知った。

夫と息子は朝が弱いので、とにかく起きてこない。そもそも「元日の朝の行事」に全く関心がないから、がんばって起きようという気配もない。

起きてこない人を待ってイライラしていた時代もあったけど、やがてそれもなくなった。

起きてこないとイライラするくらいなら、「元日の朝の行事」をやめてしまえばいいのだ。やらなければならないと思っていたのは私だけだったのだから。

初詣も、今年は息子と二人で行った。(まだ息子はつきあってくれる)

これだって、基本自分一人で行こう、と決めていれば、息子が一緒に行ってくれるだけでも嬉しいと思えるわけで、いらぬ期待など端から持たなければいいのである。

初日の出を拝みに行くのは最初から私の単独行であった。友人と行っていた時期もあるけど、今は単独。最初から単独と決めていれば心は穏やかである。

 

私の実家へはもう行かないことにしたが、夫の実家へは行く。そっちのほうが楽しいからだ。

ありがたいことに夫の両親や弟一家とは関係が良好で、集まって食事することに抵抗はない。

それよりも、自分の実家のほうへ明確に「行かない」と決められたことが大きかった。今までは「行った方がいいんだろうけど気が重いな。でも行かなくては」と思いながら行っていた。そして案の定嫌な思いをして、げんなりして帰ってきたりしていた。

今年からはもうそういうことはやめよう、と決断することができた。用事があって、都合が悪くてずるずると「行けない」と言うんじゃなくて、きっぱりと「行かない」と決めた。もういいんだ、と思うことにした。そう決めたら案外気持ちがさっぱりしたなあ。

 

そんなこんなで、いろいろやめたり諦めきることができたおかげで、大変心穏やかな時間を過ごすことができた。息子ともたくさん話すことができたし、夫ともそれなりに話すことができた。

もうそれだけでいいのだ。

夫も息子も大好きだけど、私は一人でいる時間が必要である。

仕事に出ていたり学校に行っていたりしていれば、その時間は私は家に一人でいることになるんだけど、家が拠点(つまり寝る場所)だと帰ってくることになるわけで、それだと気が休まらない。夕ご飯の心配をしたり、帰宅時間を気にしたり、とにかく家の中に自分以外の人の気配があるとどうしても気になってしまう。たいがい慣れて自覚しづらくなってはいるが、それでも自分の行動になんとなく制約がかかる。決して嫌じゃないんだけど、嫌だとは思ってないはずなんだけど、でもやっぱりそれはストレスなのである。

だから、夫が単身赴任先に戻り、息子がアパートに戻っていって、もう気を遣わなくてもいいことが明確になるとほっとしてしまう。物理的に「自分一人」でいられることがなによりも心の安寧につながるのである。

二人とは関係が悪いわけじゃないから、さみしさはない。

稽古が始まれば仲間にも会えるから、やっぱりさみしさはない。

私は今の静寂を愛する。