帰省とは、「親元を離れて暮らす人が年末年始やお盆などの長期休暇に故郷へ帰ること」というのが一般的な意味合いのようです。(ググったw)
昨今は、大学や就職などのタイミングで実家を出て、都会などで暮らす(そしてそこで結婚する)人が多くなったことで、「夫の実家へ行くこと」が問題視されるようになっているのではないかと思います。
それこそ昔は問答無用で「正月は一家揃って夫の実家へ帰省する」なんてことが行なわれており、そのたびに「夫の実家での嫁としてのふるまい」がどうだとか「姑の態度」がどうとかっていう恨み辛みが蓄積していったのでしょう。
令和になってやっと「セパレート帰省」という概念が浸透し始めてきました。妻が同行しないというパターンのようです。そもそも、妻の実家へは夫が同行しないこともよくあったわけで、要するに「夫の実家」へ行くか行かないかが問題だったみたいです。
こういうのって、どれくらい一般常識化しているものなんでしょうね。
Twitterでしょっちゅう見かける「夫の実家、夫の両親との抗争」って、そんなに当たり前にあるものなのでしょうか。あるものなんでしょうね。
民法は新しくされても、世間から「家父長制」「家制度」の概念はなかなか消えておらず、長男と結婚したらその親と同居するのが当然、だとか、夫の両親の介護は妻の義務、だとか、周囲のみならず女性本人もそう思い込んで苦しむ事例はたくさんあります。
「同居しなきゃいいじゃん」とか「帰省しなきゃいいじゃん」なんて言ってみても、「そんなことできるわけないじゃん」とはなから受け付けてもらえない。そうしておいて、辛い苦しいと嘆く。人間って不合理、不条理なことが好きなんですねえ。
結婚してからの話ではなく、まだ独身だったころ、なんなら学生のころから、長期休みの時に実家へ帰るのが苦痛でした。夏休みや年末年始、果ては春休みまで、なぜか長期の休みのときには実家へ帰らなくてはならないと学生の私は思い込んでいました。帰るのが当然だと、なぜか思い込んでいたんですね。そのくせ、実家へ帰るのはいつもほんのり苦痛でした。自覚しないようにはしていたんですが、帰らなくて済むものなら帰りたくないなとずっと思っていたことは確かです。理由は簡単。つまんないから。実家に行っても何もすることがありません。だってもう自分の生活基盤は別のところに移ってしまっていて、実家には何も残ってないのだから。
親も、帰ってこいとは言うものの、友好的なのは顔を見た初日だけ。二日目からは邪魔者扱いでした。だって生活がまるっきり違ってしまっていましたからね。親は自分の生活ペースを乱されてどんどんいらだちを深めていくし、私も好きなように行動できなくてフラストレーションが溜まる一方でした。でも「他人の家にお邪魔している」私のほうが立場が弱いので、文句を言うこともできなくて、母親のいらだちをただ受け止めるしかありませんでした。自室もなくなっていたし、とにかく居る場所がない。どこに座っていても邪魔だと言われましたし、ゴロゴロしていようものなら目の敵にされました。
あんなに邪魔者扱いするのになぜ帰るのが当然だと思っていたのでしょうね。今となっては謎でしかありません。
大学で家を出るまでも、家が自分の居場所だと思ったことはありませんでした。いつだって居候気分。申し訳なさをずっと感じていました。だから、県外の大学に合格して家を出ることができたときは本当に嬉しかったものです。やっとそこで自分の居場所を作ることができるようになっていたので、なおさら「実家に帰省すること」が負担になっていました。
でも、世間では実家へ帰ること、親の顔を見ることがとても幸せで嬉しいことだとされているんですね。子どもや孫が来ることを心待ちにし喜ぶ親の姿ですとか、実家でくつろぐと言える人の姿をニュースなどで見聞きすると、本当にそういうことがあるんだと思い知らされます。
ドラマを観ていると、そういう「親元を巣立った子どもが家に戻ることは良いことであり、親は戻ってほしいと願うものだ」という概念が前提になっている話がよくあります。
先日息子と一緒に観ていた「コントが始まる」というドラマもそうでした。
高校の同級生3人で結成したコントグループの話だったのですが、そのうちの二人は常に親から「戻ってこい」というプレッシャーをかけられていました。そして彼ら自身もそうすべきなのではないかと葛藤していたのです。
あれがほんとに不思議だったなあ。だって子どもといってももう30近いんですよ。なのに二言目には「いつ家に戻ってくるんだ」という。(実家を出てアパートに住んでいる設定でした)
家に戻してどうしようっていうんだろうと不思議でなりませんでしたよ。まだ小さい子どものように管理したいんだろうか。
一人は実家が酒屋を営んでいました。その跡継ぎ問題で悩んでいたんですが、それもまた不思議でした。父親は初めは酒屋を継いでほしいと思っていたのに、息子がコント芸人になったことでへそを曲げてしまったのか、10年経って芸人をやめるとなったときに、酒屋を継がせることを拒むのです。まあ結局継ぐんですけども、継ぎたがる息子と拒む父親のやりとりが本当に不思議でした。
二人ともとても「良い子」だったんですよね。「10年やって売れなかったらやめる」という親との約束を律儀に守ろうとしていました。これは「芸人のやめどき問題」とも関わるので一概には言えないことではありますが、なんでそこまで親との約束にこだわらなきゃいけないんだろうと、根本的なところで共感できないでいました。
ドラマに出てくる若者は、(そういう設定のドラマでないかぎり)だいたいは親と仲が良くて、しょっちゅう実家に顔を出しています。親との関係も良好だったりする。ドラマですから別にいいんですけど、なんだか当たり前のようにそういう設定が使われるんだなあと、時々思ったりします。
私は今年は正月に実家へ行きませんでした。去年も正月は行きませんでしたが、3月ごろに一度顔を出しにいきました。そしてその時、「たぶんもう二度と来ないだろう」と思ったんですね。
次は葬式かな、とも思いました。
私にとって実家は決して心安らげる場所ではなく、両親に会うことはいつもなにかしらの傷を残す。そのことが深く深く身に染みたのです。もうそろそろ自分を守ることを優先してもいいかなと思うんですよね。今までの恩はあるので縁を切ることはないと思いますが、近くにはいきたくないし、交流もしたくない。
むしろ、今の夫の実家を訪ねるほうが楽しかったりします。今年のお正月は義弟一家も揃って、みんなでわいわい話しながら過ごしました。理由は深掘りしませんが、明らかにこっちにいる方が楽しいのです。
夫が単身赴任先から家に戻るのは、自宅だから当然のことなんですが、家を出た息子もまだ帰省してきます。とはいえ、目的は友達に会うことなんですけどね。それが自然なことだと思いますが、いかんせん生活時間帯がまったく違うので、長居されるとちょっとしんどいことも事実です。いずれここには戻ってこなくなるだろうと思っているんですが、どうなんでしょうね。
実家に帰ったり両親に会うと安心する、落ち着く、と言える人は幸せです。
でもそれは、普遍の真理というわけでもない。そうじゃない人もいるということを、ネットを通じて知ることができたのはよかったと思っています。帰りたくないと思ってもおかしくないんだと知ることができたから。
人間誰しも、嫌いな人や苦手な人にわざわざ会いたいとは思わないものです。
それは、親だとか血縁関係だとかには関係ないことだと思います。