10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう


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      片山るんのページ



今日は突然の夏日らしい。

4月は空も落ち着かないんだね。


そういうことを考えているからだろうけど、近ごろよく「人生後悔しないためには、本当にやりたいことをやらないといけないよ」という言葉が耳に入ってくる。

今週から始まった「月夜行路」というドラマでも、まさにそういうところから話が始まっている。

奇しくも自分が書いた「いくつになっても夢を見る」という脚本も、自分のやりたいことから目を背けて生きてきた人が主人公で、相手役に、「やりたいことをやりなさいよ」と発破をかけられる。

稽古するうちに自覚したのだが、これはそのまま自分のことなのだっだ。

立ち止まりうろうろしている主人公は現実の私。発破をかけているのが理想の私。なんだかなあと思ってしまう。


「爆弾」の続編である「法廷占拠」でスズキタゴサクが言う。

「私の命、私の人生は私だけのものだ」と。

彼は自分をクズだと卑下してみせるけど、それの何がいけないんです?と開き直る。

この二作で私はどうしようもなくタゴサクに共感してしまう。確かにそうだよなと思ってしまうのだ。

等々力や類家が歯を食いしばって現実にとどまろうとする姿に圧倒的な憧れは抱く。等々力は「それでも俺はそれを不幸せだとは思わないよ」と言うし、類家も「俺は絶望からも綺麗事からも逃げない」という。その、ギリギリ踏みとどまろうとする意思は何かしらの希望だと思う。


私は別に反社会的なことがしたいわけではないので、タゴサクに共感しても負の方向に向かいたいとは思わない。

ただ、自分のやりたいことをやろうと考えるときに、なぜかいつもブレーキがかかる、もしくは自らかけてしまうのはなぜなんだろうと思うのだ。

生まれてから半世紀すぎたあたりで「もうこれからは、やりたいことをやる」とわざわざ宣言したのに、そしてそれなりにやってるつもりなのに、なぜかスムーズでなない感じがしている。アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような感じ。


台本を書いてみて、いつものパターンだなと思った時に、あ、私はいまだに誰かの許可を求めてるのか、と思い当たった。

自分じゃない誰かにOK を出してもらいたい。進む道に太鼓判を押してもらいたい。やっていいよ、生きてていいよと、誰かに認めてもらいたいと思っているのだ。

それって、子供の発想じゃないか。

親の許可、親に認めてもらって見守ってもらってる状態だ。

とうてい、自分の人生を自分の責任で生きているとはいえない。

だから、何をしてもすっきりしない、落ち着かない。「これ、やってもいいんですかね?」と常に誰かにおうかがいをたてている。びくびくしている。


本当にやりたいことをやるためには、自分の命は、人生は自分だけのものだ、とちゃんと腹をくくらないといけない。

この覚悟がなかなか決まらないんだろうなあ、私は。

だからタゴサクの言葉に心が揺れるんだろう。


さて。

私が本当にやりたいことってなんだろう。

とりあえず、ちょっとでも気持ちが動いたらやってみることかな。

つべこべ理由をつけずに、とりあえずやってみる。

そういえば芸人の渡辺銀次さんもそんなようなことを言ってたなあ。

今、この瞬間を目一杯楽しむ。味わう。

内在化してしまった他人の言葉に耳を貸さずにね。

日ごろどれくらいパソコンに依存していたかを痛感している。

春の天気は気まぐれで、今日は朝から大雨である。

さいわいなんの予定もなくて、家でのんびりしているのだが、いつもならずっとパソコンに張り付いていたのにそれができなくて手持ち無沙汰になってる。

スマホからでも投稿はできるのだが、なんだか気が進まず、使いづらいタブレットでポチポチ入力している。自分の妙なこだわりにうんざりしてしまう。日常の習慣を変えるのが苦手で、こういうときに私は、旅人にはなれないなと思う。


先日「東京PD」というドラマが最終回を迎えた。警察の広報課が舞台の異色警察ドラマで、けっこう楽しみに観ていたのだが、あろうことか最終回の録画を失念して見逃してしまった。

昨今はいろいろ配信もあるのであてにしていたら、あれはFOD の担当だったらしく、ワンアクションで観ることができなかった(ちゃんと探せばできたとは思う)

ずっと観てきたから残念だったが、同時にあのドラマはseason2をFODで配信すると言っていたなと思ったら急にどうでもよくなってしまった。

別に配信が悪いわけじゃないけど、サイドストーリーを同時配信するとか、続きは配信で、ってなるとなんか萎える。

たぶんテレビドラマはテレビで完結してほしいという私の習慣の問題なのだろう。


ドラマのリアタイは微妙なところで、環境としてはできるんだが、どうにもあのCM がかったるくて、つい録画してCMを飛ばして見ている。その点NHKはいいよね。そこだけはいいと思ってる。


再来週あたりで新しいパソコンを購入する予定なのだが、それまでに何か習慣が変わるかなあ。

変化は好きじゃないが順応は早いという自負はある。

まあでも買ったら買ったでまた大騒ぎするだろうことは目に見えてるんだけどね。


それにしても、雨は憂鬱。  

久しぶりにパソコンのトラブルが発生しました。

世間の人はマメに買い替えとかなさるんでしょうが、どうにも無精もので、ついつい同じものを使い続けてしまう。

新しいものにワクワクするよりも、使いなれたものに安住したいタイプ。だからUIが変わったりするのが大嫌いなんですね。混乱してそわそわしてしまう。

機械に対する根拠のない絶対感みたいなものもあって、不具合が起きるとおろおろしてしまうのです。不具合があって当然なのにね。

私がパソコンでインターネットを使うようになって、もう20年近く経ちます。はじめの頃はそりゃあオタオタしたものです。プチパニックみたいになって、半泣きで入門書やら解説書やらを読みまくりました。

ここ数年でようやく、ああまたか、そういうこともあるよね、今度はなんだよ、と思えるようになってきました。

解決法の探し方にも慣れました。

それでもトラブルは嫌なもんです。

今回のトラブルは、つまりは長く使いすぎたということなのかもしれません。少し前からノートンさんが、デバイスの1つに問題があるんだが、といい続けていたのを無視したのが悪かったのかも。

回復キーで解決できるはずが、デバイスに問題があるとかで修復できないループに入り込んでしまいました。

私がもう少し知識と技術があったら、あるいはパソコンが新しいものであったなら、もうちょい粘ったかもしれませんが、どちらも否でしたので、潔く買い替えることにしました。

ああでも、すでに憂鬱です。パソコンを買い替えることで発生する細かな作業。

いろんな設定、登録のやり直し、慣れない画面、慣れない操作。

どうせしばらくしたら馴染むことはわかっているのですが、それまでの時間が憂鬱です。億劫でならない。

この憂鬱と億劫のせいでスマホもなかなか買い替えられないのです。

こちらもそろそろそういう時期なんですけどね。

コンピューターの技術は日進月歩で、次々に新機能高機能のものが登場してきます。それはそれは素晴らしいものです。そういったものの恩恵にあずかっていることもわかっています。

同じものをずっと使い続けたいというのは世の中の摂理に反した愚かな願いなのでしょう。時代の流れに乗れない年寄りの繰り言なのです。

だからまあ、こういうことがあると、ついつい愚痴をこぼしたくなってしまうのでした。


一昨日小説の「爆弾」を読み返していたので、なんとなくスズキタゴサクみたいな口調になってしまいました(笑)