コミックを売った。
1巻~26巻。最近新刊が出たタイミングで、買おうかどうしようか迷った。
正直、もうそれほど熱心に読んでいるものではなくなっていた。買い続けてきたから、なかば惰性で買っていたのだということに気づいてしまった。
26巻を読み直してみたが、やはり続きが読みたいという情熱は残っていなかった。
もういいかな。自然とそう思った。
小説の場合はほぼ1冊で完結する。もしくは、上下巻、上中下巻で完結する。
今のところ、コミックのように何巻も続けて出るような作品は読んでいない。
私は作家買いをするタイプなので、好きになった作家の作品は継続して買い続け、読み続けるのだが、それでも途中で情熱が消えてしまう場合がある。
古本屋へ売るのはそういう時だ。でも小説は買い取り価格が低い。需要がないんだろうな。
基本的に、好きになって何度も読み返したいと思う作家の本しか買わないようにしているし、ピンポイントで1冊だけ読むという場合もあるので、小説本を売るということはあまりない。
コミックもそれに準ずるのだが、コミックの場合「絵」という大きな問題がある。
当初から小さな違和感がある場合、その違和感が次第に大きくなっていくことがあり、そうなると読み続けるのが苦痛になっていく。その苦痛に目をつぶることにある時耐えられなくなる。
今までは、あえてその苦痛から目をそらしてきた。
でも、ふと思ったのだ。もういいんじゃないか、と。
残り少ない人生、誰に義理立てしているんだ、と。
同じことを人に対しても思う。
会いたいと思う人に会えばいいのだ。それは裏返せば、会いたいと思わない人には無理に会わなくてもいい、ということだ。
いまは、おおむね会いたいと思う人に会える状況にある。
演劇関係の人とかはそう。
なぜわざわざこんなことを考えたかといえば、家族のことを思い浮かべたからだ。
私にとって「家族」という範疇にいる人たちとあんまり会いたいと思わないな、と気づいたのだ。
必要があって会わなくてはいけないことがある、というのが家族の存在のような気がする。
親とか兄弟とか、もう別に会いたいとは思わないのだ。
世間では問答無用で家族には会いたいと思うものだ、とされている。私にはそれがよくわからない。あれは、「家族」に会うと、「家族」と一緒にいると、心が安らぐとか癒やされるという関係性がある人の話なんじゃないか。
「家族」という属性だけでそういうふうに思うことが私にはない。趣味も好みも話題も合わない人の方が多いから、会っても別に楽しくはない。
会わなきゃいけないから会って、せめてその時間は楽しく過ごしたいと思うからいろいろ話をしたりもするんだけど、わざわざ時間を作って会いたいとまでは思えないんだよな。
子どもたちも、もうそれぞれ独立して自分の人生を歩んでいるので、そのまま生きていってほしい。それこそ「家族だから」親族間の行事などで否応なしに顔を合わせなくてはならない時もあるだろうが、それ以外は各自が楽しく生きていってくれればそれでいい。
嫌いだとかいらないと思っているわけではないが、「たまには顔を見せる」みたいな発想はいらない。
たぶん、今の私は「親に会いたくない」という気持ちがとても強いのだろうな。だからこんなことを考えてしまうのだろう。
