ドラマ「金枝玉葉」 第6集 大結局 後編 | 江湖笑 II

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※「幻鏡閣」は4/26にて大結局です。

ドラマ「金枝玉葉」

 

第6集 大結局 後編

 

 

 

 

 

 

 

<6集 後編>

 

 

「…私が悪かった!

 福康安がとっさに叫んだ。

 令皇貴妃が仇であると教え込まれて育った福康安であるが、かれは幼いころから令皇貴妃のことが恐ろしかった。令皇貴妃に手が出せないので、娘の昭華を傷つける計画を立てたのだ。福康安の誤算は、かれの昭華に対する気持ちである。この感情を否定するため、かつ生きる目的を忘れないために、あの日、昭華を物乞いたちの中へ放り込んだのである。

「今なら昭華を愛していると言えるかい?

 躊躇した福康安は、視線を落とした。

「昭華、見たかい? これがおまえの知りたかった答えだよ」

 福康安は短剣の刃を握り、自分の左胸に突き立てた。

「私を殺してもいい。だがほかの人はだめだ、きっと後悔するから!

 

 

 翌朝、承乾宮で発見された思婉は、恐怖から正気でなくなっていた。昭華に傷つけられたという左手首はごく浅い傷で、すでに血は止まっている。血の滴る音は、布から滴る水滴の音だった。

 脇腹を刺された福康安は、しばらく富察家で療養が必要で、休暇をもらった。

 眠り薬をかがされた拉旺多尓済は、すでに効果が切れていて、大事には至らなかった。

 昭華は目を覚ましたものの、何も覚えていないと令皇貴妃に話した。

 昭華が病気だと聞いた太后は、悪運を打ち破るために盛大な婚礼を指示し、乾隆帝は以前から用意していた新居の装いを令皇貴妃に確認する。

 

 

 福康安が養生を終えて久しぶりに紫禁城へ戻ったのは、昭華と拉旺多尓済の婚礼当日であった。寝耳に水の福康安は、延禧門へと走った。

 部屋へ飛び込み、支度を終えた昭華の腕をつかむ。

「一緒に逃げよう! 拉旺多尓済に嫁ぐなんて許さない!

「なぜ?

 一瞬、言いよどむ。じっと昭華を見つめた福康安は、とうとう愛していると気持ちを伝えた。

 なぜもっと早く言ってくれなかったのか。

 もう一度だけ機会をくれとすがる福康安を見て涙がこみ上げそうになった昭華は、くるりと後ろを向いた。

「勇猛な富察家の子弟らしくないわね」

「私は違う…」

 福康安は力なく首を振った。

「いいえ、あなたは間違いなく富察傅恒の子息よ! ただ復讐に目が曇ったことが違うだけ」

 福康安が傅恒の子でない事に、明晰なかれが気づかないはずはない。それでも傅恒は息子として育てたのだ。福康安は確実に富察家の血脈である。それが証拠に、福康安は生前の父同様、兵書を常にそばに置いているではないか。

 昭華は涙をこらえ、福康安の手を振りほどいた。

 

 

 無情にも、婚礼の行列は福康安の目の前を通り過ぎて行く。

 

 

 乾隆帝と令皇貴妃への挨拶を済ませた昭華と拉旺多尓済は、養心門から外へ出た。輿に乗る前に、昭華が承乾宮での一夜について告白する。

 拉旺多尓済と福康安、思婉が承乾宮に閉じ込められた晩に起こった乾清宮の火事は、嘘だった。いつも昭華が使っている声帯模写に演じさせたのだ。外に出られない理由を作るためである。

 思婉は昭華を狂わせようとしたので、先に昭華が彼女の正気を奪った。福康安は色恋を用いて昭華を傷つけようとしたので、昭華は二度と彼女を忘れられないように図った。そしてずっと鉄面皮で素っ気ない態度の拉旺多尓済には、復讐のためにひと晩、放置した。

 このいち夜に、令皇貴妃も陰ながら関わっていた。

 ひとは昭華が母の令皇貴妃に似ていないと言う。だが、かれらの見解は間違っている。

 昭華の言動は良妻賢母からかけ離れている。それでも娶るつもりが拉旺多尓済にあるのかと訊ねる。

「もしもあの夜、福康安がわたしのことを愛していると言っていたら…」

 拉旺多尓済は昭華の手を両手で包んだ。

「この世に、もしもは無いよ」

 声帯模写のことも、昭華の気がふれていなかったことも知っている拉旺多尓済は、まっすぐに昭華を見つめた。

 

 

 婚礼の行列は、慣れ親しんだ紫禁城から出て行く。輿の中の昭華は、これで良かったのだと紅蓋頭を被った。

 

 

 

 

 

 

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【四方山話】

 

 

 昭華と拉旺多尓済が結婚した年齢に関して、昭華は14歳のとき(生まれは旧暦の乾隆二十一年七月十五日、結婚したのは乾隆三十五年正月五日)ですが、拉旺多尓済については誕生年がはっきりしていないようです。ただ、拉旺多尓済が4歳のとき、昭華が2歳のときにお見合いしたなどの記述がないわけでもないので、だいたい昭華のふたつ上、167歳くらいだったのでしょう。今で言えば児童婚にあたりますが、当時としては普通のことでした。

 昭華は結婚したのち、五年でこの世を去ります。享年二十歳でした。一方の拉旺多尓済は嘉慶二十一年、病気がもとで亡くなりました。