”自分自身でコントロールできない状態の慢性化とそれによる怒りの慢性化”
”鬱の考察、私の場合①”
で書いた内容であるが、
体力的にも限界があるように、
精神的にも限界値(キャパ)は存在する。
そして、
そのキャパは、
恐ろしく静かに自覚症状もなく蓄積してゆき、
ある日、
堰を切ったように崩壊する事となる。
幸いにも、
私には、
妻が傍にいてくれて、
妻が精神的な限界値(キャパ)を大きくしてくれたと考えている。
限界だったのだろうと、、、
妻の配慮が無ければ、
私の精神的な限界値(キャパ)は崩壊していたであろう。
妻には、
昔も、今も、未来も感謝である。
さて、
①の続きになるが、
そんな私は、
仕事上の精神的プレッシャーによるダメージ如きは、
完璧にコントロール可能になったと言って過言ではないと言えるようになった。
実際、
そんな障壁など、
妻が不治の病になり、
妻が旅立った時の嵐に比べれば、
全く、
取るに足らない、
そよ風に過ぎないレベルであった。
そんな私が、
頼るべき、
妻がいない中で,
その現実に、
如何に立ち向かう事が出来たのか?
糞のような仕事レベルのプレッシャーごときで、
精神的に追い詰められかけていた私が、
それを数億倍上回る状況のプレッシャーを、
如何に乗り越える事ができたのか?
偏に以下の事に尽きるといえるだろう。
知識と知恵と多くの経験・体験である。
知識と知恵と経験は、
精神的な限界値(キャパ)を大きくしてくれる。
精神的な限界値(キャパ)は、
少しのきっかけで、
大きくする事が可能であるという事である。
置かれた難題(環境)に対しての、
視点を変える事だけで、
精神的な限界値はコントロール可能であるという事である。
私の精神的窮地を、
否、
精神的窮地にすら至らなかった現実、
そう、
全ては、
スピリチュアルを基軸とした、
哲学・真理の探究と、
その結果得る事が出来た、
多くの知識と知恵、
検証の為の実地経験。
これらの経験は、
私の以後の人生において、
重要な位置を占め意味を成してきた。
そして、
圧倒的な視野の拡大と、
圧倒的な精神的な限界値(キャパ)を押し広げてくれたこととなった。
逆説的に言うと、
幸いなことに、
もう、
今後残りの人生で起こる全ての事象に於いて、
あの出来事を超える事象は皆無である!
これは、
100%断言できる!
あの衝撃・プレッシャーを超える事象は、
もうない!
従って、
この私に精神的な病巣が巣くう余地すらない!
あくまで、
これは、
あくまで限定的な私的な考察である。
肉体的疾患、
人体の器官の損傷や病変、
上記に伴う、
精神の疾患は除外して、
(この場合、原因は肉体面にある場合があるので)
肉体は健全でありながら、
環境が起因で精神的なトラブルを抱える場合、
所謂、
”自分自身でコントロールできない状態の慢性化とそれによる怒りの慢性化”
が起因で精神的なトラブルが発生する時、
もっと深堀りすると、
このカテゴリー化に集われている、
愛する者達を失う事が起因で、
精神的なキャパが限界を迎えようとされている貴女へ、
そんな時でも回避の為の手段・答えはある。
それは、
偏に以下の事に尽きるといえるだろう。
知識と知恵と多くの経験・体験である。
多くの知識習得と、
そこから齎される知恵・叡智の気づきは、
貴女に、
圧倒的な視野の拡大と、
圧倒的な精神的な限界値(キャパ)を押し広げてくれる事になる。
貴女に、
豊かな人生と、
優しさと、
愛情をもたらしてくれる事となります。