鬱の考察、私の場合② | The truth is out there

The truth is out there

真実は、そこにある。

”自分自身でコントロールできない状態の慢性化とそれによる怒りの慢性化”

 

”鬱の考察、私の場合①”

 

で書いた内容であるが、

 

 

 

体力的にも限界があるように、

精神的にも限界値(キャパ)は存在する。

 

そして、

そのキャパは、

恐ろしく静かに自覚症状もなく蓄積してゆき、

 

ある日、

堰を切ったように崩壊する事となる。

 

 

幸いにも、

私には、

妻が傍にいてくれて、

妻が精神的な限界値(キャパ)を大きくしてくれたと考えている。

 

限界だったのだろうと、、、

 

 

妻の配慮が無ければ、

私の精神的な限界値(キャパ)は崩壊していたであろう。

 

妻には、

昔も、今も、未来も感謝である。

 

 

 

 

 

さて、

①の続きになるが、

 

そんな私は、

仕事上の精神的プレッシャーによるダメージ如きは、

完璧にコントロール可能になったと言って過言ではないと言えるようになった。

 

 

実際、

そんな障壁など、

 

妻が不治の病になり、

 

妻が旅立った時の嵐に比べれば、

 

 

全く、

取るに足らない、

そよ風に過ぎないレベルであった。

 

 

 

そんな私が、

 

頼るべき、

妻がいない中で,

 

その現実に、

如何に立ち向かう事が出来たのか?

 

 

糞のような仕事レベルのプレッシャーごときで、

精神的に追い詰められかけていた私が、

 

それを数億倍上回る状況のプレッシャーを、

如何に乗り越える事ができたのか?

 

 

 

偏に以下の事に尽きるといえるだろう。

 

知識と知恵と多くの経験・体験である。

 

 

 

知識と知恵と経験は、

精神的な限界値(キャパ)を大きくしてくれる。

 

精神的な限界値(キャパ)は、

少しのきっかけで、

大きくする事が可能であるという事である。

 

 

置かれた難題(環境)に対しての、

視点を変える事だけで、

精神的な限界値はコントロール可能であるという事である。

 

 

私の精神的窮地を、

 

否、

 

精神的窮地にすら至らなかった現実、

 

 

そう、

全ては、

 

スピリチュアルを基軸とした、

哲学・真理の探究と、

 

その結果得る事が出来た、

 

多くの知識と知恵、

検証の為の実地経験。

 

これらの経験は、

私の以後の人生において、

重要な位置を占め意味を成してきた。

 

そして、

圧倒的な視野の拡大と、

圧倒的な精神的な限界値(キャパ)を押し広げてくれたこととなった。

 

 

逆説的に言うと、

 

幸いなことに、

 

もう、

今後残りの人生で起こる全ての事象に於いて、
 

あの出来事を超える事象は皆無である!

 

これは、

100%断言できる!

 

あの衝撃・プレッシャーを超える事象は、

もうない!

 

従って、

この私に精神的な病巣が巣くう余地すらない!

 

 

 

 

 

あくまで、

 

これは、

あくまで限定的な私的な考察である。

 

 

肉体的疾患、

人体の器官の損傷や病変、

 

上記に伴う、

精神の疾患は除外して、

(この場合、原因は肉体面にある場合があるので)

 

肉体は健全でありながら、

環境が起因で精神的なトラブルを抱える場合、

 

所謂、

”自分自身でコントロールできない状態の慢性化とそれによる怒りの慢性化”

 

が起因で精神的なトラブルが発生する時、

 

 

もっと深堀りすると、

 

このカテゴリー化に集われている、

 

愛する者達を失う事が起因で、

 

精神的なキャパが限界を迎えようとされている貴女へ、

 

そんな時でも回避の為の手段・答えはある。

 

それは、

偏に以下の事に尽きるといえるだろう。

 

知識と知恵と多くの経験・体験である。

 

 

多くの知識習得と、

そこから齎される知恵・叡智の気づきは、

 

貴女に、

圧倒的な視野の拡大と、

圧倒的な精神的な限界値(キャパ)を押し広げてくれる事になる。

 

貴女に、

豊かな人生と、

優しさと、

愛情をもたらしてくれる事となります。

 

 

 

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