全ては忘却の彼方へ、 | The truth is out there

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真実は、そこにある。

年末、

年始と、

墓参りに行ってきました。

 

 

何度も繰り返し言っておりますが、

 

本当に、

そこに大事な故人(人々)はいません。

 

そんな冷たく位場所にメミが、

ずっといる筈もありません。

 

しかし、

その場所は、

メミを筆頭に大事な故人達との繋がりの場の1つでもあります。

 

墓参りの間、

メミは私の左後方で寄り添っております。

ばあちゃんは、もっと上の方から包み込んでおります。

 

 

そこは、

報告の場であり、

懺悔・内省の場であり、

決意・宣誓の場であります。

 

私の実家には、

先祖代々、

私の代で16代前まで家系図が残っております。

仏教的には、

16代前迄の故人が、

この場所に葬られているという事になります。

 

そして、

恐らく、

私の代で

家系図は途切れる事となります。

この墓も永代供養となります。

 

オヤジには、

その事が無念で仕方がないようです。

歳を取ったからなのか?

出会えば、

そんな事ばかりを言ってきます。

 

しかし、

私には、

墓や位牌や家や土地に何の意味も見出せなくなってしまいました。

何の価値も見出せなくなってしまいました。

 

 

 

年末年始に墓参りをして、

ふと、

思った事があります。

 

私の先祖代々の墓には、

水子を祀った墓があります。

 

しかし、

今となっては、

どの代の誰の墓で、

どの様な経緯の方なのか?

調べる術もありません。

 

同じように、

私が解るのは、

じいちゃん、ばあちゃん迄です。

 

それ以前の、

ご先祖様が、

どの様な方で、

どの様な生活をしてて、

どの様な人生を歩んで、

どの様な思想を持っていたのか?

 

調べる術もありません。

 

100年前の事が、

100年前に、確かに、そこに存在してて、

生活を営み、

日々生きていた。。。。

 

しかし、

たった100年前のデータが全くありません。

 

恐らく、

余程の偉人でも無い限り、

殆どの人は、

同じような状況なのではないでしょうか?

 

。。。。。。。。

 

後、100年、

 

否、

 

後、50年、

 

恐らく、

私やメミの事を記憶し話をする者は皆無でしょう!

 

我々が考えているよりも、

 

もっと、

もっと、

急速に、

人の生きた記憶は忘却の彼方へと、、、

 

 

そこには何も残りません!

 

そこへは何も持っていけません!

 

目に見えぬ、

永遠に続くものしか残りません!

 

永遠に続くものしか持っていけません!

 

 

だからこそ、

 

今、

永遠に続くものを磨き輝かせる必要があります。

 

 

私には、

人には、

それしかないのですから、、、

 

 

 

 

 

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