今日は曇りで寒い朝となったここ北摂地方です。寒さも底冷えがするというか、本格的な真冬の寒さとなりました。皆さんも暖かくしてお過ごし下さい。
ここ数ヶ月にわたり日本人働き方の在り方と課題の解決について考えています。8月の末ごろこのブログで、ホワイトカラーの業務効率が上がらないのは、連綿と続く日本人の稲作文化の影響があるのではないかと考えました。 これ です。
その典型的な現れが組織の中でよく見られる3つの現象にあると考え、その解消方法を考えてきたわけです。3つとは「非効率な会議」「だらだら残業」「決断できない組織」です。
今回からのシリーズは「続々・プロジェクトマネジメントと働き方改革」と題して、3つ目の課題である「決断できない組織」について考えていくことにします。
日本人がスグに決断できない、あるいは決断に時間がかかるというのは随分昔から散々言われていて、社会の課題として広く認知されていることに皆さん異論はないと思います。
なぜ決断できないのか、もしくは決断に時間がかかるのか? それは第一に決断することによる責任を取りたくないからです。つまり責任回避の気持ちが強く働くというこことだと考えます。
しかかし組織運営において何らかの決断をせず済ませることはできません。もしそのような集まりがあれば、それはもう”組織”とは呼べるものではありません。組織を運営、経営するということは判断と決断の連続だということです。
んー、なにか矛盾していますね。組織運営にとって”決断”が必須の行為であれば、いくら責任を回避したいと考えても決断しないという選択はあり得ないはずです。
もう少しこの原因について掘り下げて行く必要がありそうです。組織がなんらかの決断をするというシチュエーションを想像してみましょう。
一つはルーチンワークとして、同じパターンの決断を行うというものがあります。ある条件に基づいて以降の処理が異なるという業務の場合、例えば銀行の融資審査などの業務では、最初のスクリーニングで明らかに基準を満たしていない場合は、自動的に不合格が”判断”されます。
こういう基準があるもの、または判断にパターンがあり”前例”に従って判断が可能なものについては、誰もが迷わず決断することができます。なぜなら、その結果は判断した人の責任ではなく、基準か前例に問題があったということになるからです。
ところが、基準に対して明確に合否の切り分けができない、曖昧なボーダーライン上の案件の場合や前例がない場合は、とたんに個人として”判断”も”決断”もできなくなります。
ではこのような場合どのようにもの事は推移するのでしょうか。
まず判断したくないわけですから、まず判断そのものをしないという行為にでます。つまり、先延ばし、たらい回し、無視という行為を行うことになります。
この作戦が功を奏しないときは、次に誰かに判断の責任を移譲することを考えます。ただこれも簡単ではありません。普通上司にエスカレーションすることになりますが、上司から見ると余計な仕事を強いられるという被害妄想に陥り、評価を下げられる可能性もあります。また、同様の理由で上司が”判断”を拒否するかもしれません。
膠着状態ですね。これを回避するために次に起こるのは、関係者をすべて集めて集団で協議するということになります。こうすることで、誰かの(個人の)判断ではなく、みんなの総意としての”決断”とするわけです。
このような行為が日々私たちの周りで起きていると思っても間違いありません。ではどうしたらいいのか?次回はそこに踏み込むことにします。
