さてと。


えー、、なんだっけな。


あ、日記を書こうと思ったんだった。


すぐ忘れちゃうからな。というか、覚えないということが得意なだけか。



ひとりごとはこのくらいにしておいて。と



えー、


あ、河童橋から明神池までは、かなりゆっくり歩いた。河童橋までは、一言で言うと沼地。河童橋からは、土と多少の岩の道。


そんな感じなので、トレッキングは楽しい。


一呼吸一呼吸、この空気を感じつつ味わって、一歩一歩、大事にあるく。





梓川に注ぎ込む、小川もたくさんあったりして、水を触ったり、岩の上を飛び移りながら川を散策したりして、寄り道した。



光と影と緑と水。




これは特別。



水が綺麗というのは現代ではかなり貴重。

空気が綺麗というのは、現代ではかなり貴重。




水が綺麗だと、料理もシンプルになる。素朴な料理が楽しめるのは、こういった理由がある。




当然だけど岩魚もおいしい。

これありえがたい。




そして。




明神池は、こんなよ。



きれいすぎる。

いや、綺麗すぎるやろ。





僕は、いつも疑問に思うんだ。



なぜ、秘境と言われる山の奥深くに惹かれるのか。





この旅でも、ずっとその答えを再確認しようとしていた。




それについては、やはり、「調和」なんだ。




自然と人が調和するということでもあるんだけど、でも、そもそもそれよりも前。



「自然はいつも調和が保たれ、さらに維持し続けている状態」





つまり、空があって、大地があって、山があって、木があって、草があって、虫がいて、水がある。




これらの要素が、複合されつつ、さらに調和しているから、現存している。



絶妙をやりつつ、壊れずにある。

これ、すごない??





その状態が長い間、いやながーいあいだ、在り続けている。




ここに、僕は惹かれる。



その尊さに惹かれる。そして、できうる限り、僕もそうあろうと。これは信念の話だ。




何を信じて、この世界をどう見て、そして、どのように結論を出すかは、自由だ。




それぞれの自由だ。



そして、さらにそれぞれの捉え方から思考して結論を出していい。




ただ、僕は、いつも自然が先生で、その自然に寄り添って、視てみると、いつも尊さをみる。



何ひとつ間違いはないし、なんにも悪くもない。




全てがあって、互いに尊重し調和が生まれている。

だからこそ僕は尊いと思うんだ。




僕は幸か不幸か、人間の体を持っている有機物質。少なからず、多少でも、出会った人は仲間だとして、人として倫理観を大事にして、これからも人と調和をしていようと思ったので、これを強く心に刻んだ。




そんな結論を出して、すっきりして、そしてすっかり忘れて、それではいただきます。


そばが美味しい。



それはそうよ。当然引っ越すだろうよ。




今回一緒に行った仲間たちは、初めて長野県に行き、はじめて長野の山を見て、そして歩いた。



感動していた。

とてもいい経験になったと思う。

こういう経験という事実は、人生に有効に働く。




世界線??


十分、この自然で変えられたと思うよ。



人が幸せそうにしているのをみるのは、何よりも幸せだと思った。めでたかった。