こんにちはアメブロ。

 

 

 

おとといかな、満月はとてもきれいで透き通っていて、情緒がありました。昨日の月もまるで目玉焼きの黄身のようで迫力満点。ちょっと怖いくらいの感じでしたね。

 

 

 

 

3時間でうまく錆びさせられたというエイジングの例

 

 

 

 

夜空や星や月なんかを見てると何ひとつ思考しない脳みそになります。大抵の場合は何か思い浮かんだり、記憶を辿ったりなどの回想が始まるようなのですが、一才の思考なくいられるということは、きっと日々都度正しい対処ができてきているということで、誠にいい状態なのだと思いました。そう思えた自分は誇らしくあります。

 

 

もし、思考をとめるにはどうすればいいか方法を探しておられる場合には、参考になさってみるとよいでしょう。正しい対処を学び、それを実行するだけです。

 

 

 

さて、

 

 

さて。

 

 

 

かくゆう僕ももれなく傷つくことができるタイプの人間であったわけです。もちろん子供の頃から悲しいことばかりで幸せはほんの少しの時間はあったという程度。良くも良くもないという極めて普通の日々でした。でも、悲しい感情が出るたびにその出来事と向き合って、改善してきたというわけです。

 

 

 

 

「変われるのは自分」そういう考えを持つように意識した痕跡があります。これはとても良い成長をもたらしました。

 

 

だってそうでしょ。自分を変えようとしないということは、自分は変わる気ないあなたが変わってと言っているのと同様となる。その対象が人様から社会に対してとなったら、社会を変えようとし始めてしまう。これは善悪の判断の範囲に入ってしまう考え方ですし、この考え方から人もしくは社会を変えようとしたら、間違いなく変わることはない、自分の成長すら逃すことになるからです。

 

 

つまり、外側の出来事を対象として、さらにそれを悪と定め、善を主張し達成を目指すなんて愚かなことで、人様の役に立っていないまたは人の助けにもなっていないうちは生意気の極み。身の程を知れと言ったところ。

 

 

 

なので、善だとか悪だとか、好きだとか嫌いだとか、有るとか無いとかで判断することに委ねて生きるということをやらないという方法を見つけたので人生の時間を投資して実験しました。これは実際に波動や周波数を下げない結果に。結論は成功したと言えます。

 

 

 

だから僕はいうんです。

 

 

もし、今なかったとしても、今ないだけで、あるよ。

 

もし、今病気だとしても、それは今だけであって健康はあるよ。

 

 

もし、今は嫌いでもそれは今だけであって好きかもしれないよ。

 

 

 

事実そうだし、だからそう考えるべきだと。

 

 

 

僕たちは、これは良くてこれは悪いという判断をすることで敵を作り、争うという刺激で生きている実感を得るかということをするのではなくて、いかにして長生きし、どのように行動すれば老いないかを考えなくてはいけない。

 

 

ちなみにだけど、裸足で芝生の上を歩くと老けないからおすすめです。

 

 

 

 

 

 

それでは、皆さんも死生観について改めて考える時が来たと思って些細なことに意識を向けるのではなく、俯瞰した目線をもってして人生を視てみつつ、過集中の時の中で素敵な午後をお過ごしください。