こんにちはアメブロ。

 

 

 

 

 

今日は治療家としての僕がみなさんにお話ししたいことがあるというので、それをそのまま記事にしようと思います。

 

要点は、変わらないことはない。変えられる、または変わるという話です。ではどうぞ。

 

 



散歩で見つけたシャガという花

 

 

僕は気功師です。その仕事というのは、後天的に難病や癌などを患ってしまった方を回復させたり、完治させたりするということをしています。それがなぜ可能なのかというと、元々の才能はもちろんですが、一番重要なのは自分を律することの継続で可能にしています。そして、無いという世界観を採用しないことはとても大事なことです。

 

 

つまり、「ある」という世界線のみ採用していて、あるの側から物事や人を視ています。それは、もし目の前に病気、もしくは何らかの問題を抱えている人がいたとしても、「今」の時点で病気や問題を抱えている一過性の出来事なだけであって、未来では解消しているというように視ているということです。



 

「今」病気なだけ。


「今」問題を抱えているだけ。


「今」不安なだけ。


 

そういうことです。

 

 

 

もし今、あなたが何かしらで困っているとしたら、それは「いま」困っているだけで、その状況に気がついているのだから、近い未来にその問題は好転すると考えましょう。もちろん祈っているだけでは時間がかかりますから、好転のための行動は必須ですし、その対処ができるのはあなただけです。

 



 

以前、「本当に変わる気が無いと変われない」とおっしゃっている某有名ヒーラーさんがいました。この方は霊媒師でもあったわけで、なかなかの力を持っていることは間違いない方です。ですが、僕は「人は本当に変わる気がなければ変われない」という言葉に強烈な違和感を感じました。率直に言って、「ヒーラーや霊媒師の限界はここか」と察しました。おそらくですが、スピリチュアルの限界もここだろうと思います。

 

 

ヒーラーと気功師は世界線が違います。ヒーラーは癒すことができる人。気功師は治せる人と領域が違うわけです。僕は医学の気功師ですから「変わる気持ちがなければ変えられない、限界値があるんです。それが悩み」と話すヒーラーさんでさえも優しく見守っていました。

 

 


気功師というのは、その人の信念がどのようなものであろうと、どのような概念を採用していようと、常識がどうであろうと、倫理観がどうであろうと、目の前の人が自身の問題や病気に気がついていれば、よくするということができます。もし気がついていなければ気がつかすことさえできる。非言語の情報を扱うということはそういうことなのです。

 

 

ないの側からの考察ではなく、あるの側から視る。



あるの側から視ればそれは、単純に「今」ないだけであって、無いを経験しているんだなと解釈することができます。これは好転させるアンカーであり最も重要な知的センテンスです。

 

 

もし、あなたがないの側から視ているのだとしたら、疑うということをしているということに気がつき、それをやめるという選択の機会が訪れたと捉えて、おそれを受け入れて疑うということをしないということをするように意識し、それを継続してみましょう。




 

そうすることで、あるの側から視た景色を見ることができるようになります。ただし、刺激はそれまでよりも格段に減少しますので、そのことを念頭に置き、ご承知おきください。その際は平和を知ったと理解しましょう。

 


 

今日はこの特殊な記事を読んでいただきありがとうございました。気功療術の受付を開始することにしました。もしお困りのことなどございましたら、お気軽にお問い合わせください。その際の件名は「気功療術について」としていただけますととてもスムーズです。難病や癌など提案できることがたくさんあります。

 

 

 

 

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