こんにちはアメブロ。

 

 

 

お待ちいただきどうもありがとうございます。





 

今日は一つ前の記事の続きを書いていくということをしていきます。

 

 

 

前回のお話の最後で、「大事なことは、脊椎動物であるが故に生命の危機や危機的状況を察知する生存本能が働いていることを知らなかったという自分に気が付くことです。」とお伝えしてタイピングを終えました。



早速ですが、まずは緊張を生み出す経過を簡単にお話します。

 



脊椎から身体、内臓へは末梢神経を介し、電気信号を神経細胞同士のつなぎ目であるシナプスが担当し伝達しています。この働きは、各器官との情報のやりとりという肉体上で起きている出来事です。

 




刻々と移り変わる情報


話は変わって、わたしたちが生きているこの地球では、現実という独特なプラットフォームが採用されています。このプラットフォームには『時間』という概念があり、この時間という概念は、『刻』という点と、未来や過去といった、今ではない刻とを結んだときの経過を意味します。つまり、刻は連続していて、その一つ一つはつながっています。

 


そして、その刻の内容や情報は、毎瞬が全くの純粋で、未体験の連続でありますし、つまり誰も体験したことがない。




次の現象を前もって断定することの困難な不確定かつ、抽象的な要素であることから当然わたしたちが関与できる余地はありません。(介入しないということができます。)




介入しようとしなくていいわけね。

 
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つまり、私たちは【地球の刻々と、時の経過の中で変化する状況や、非言語の情報に対応するということをしている】と知ることができます。

 


脳が関与するタイミング


脳は脊髄よりもあとなのか??

 

 

変化したことに私たちが気が付くのはその後のことです。



物事が変化して、その後に初めて脳が気がつきます。つまり、精査したり、思考して方針を決定しているのは、実は緊張が生じた後。



それも結構あとというわけです。例えば胎児が母体内で生育していく過程では、受精ののちの経過は、”脳よりもまず腸が先にできます。



このことからも、脊髄が先で脳が後と理解するには十分ではないでしょうか。





んー。緊張してから考えている。たしかに!

 
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緊張は、生命や生物の働きに基づく反応なので、緊張して当たり前、これで正常と判断するんです。



 

そして、この観点から鑑みるに、「疑い、もしくは恐れや恐怖」などを含む、状況の変化や情報空間の変化によって生じる緊張が産む情緒や情動は、その反応全てが正常と理解できます。(もしこれがなかったらサバンナでライオンに「あー!ねこさんだー」と撫でに行こうとしてしまう)

 



選択の範囲内の出来事



疑い、心配や不安、恐怖などは、時の中でおきる情報の変化(脳内の出来事の変化を含む)に対して、脊髄が危険を緊張により知らせていると知った上で、私たち人間ができることは、その緊張を弛緩にすることです。

 




ゆるますを選ぶ。。。

 
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たとえば、

「これ、警戒を採用しとく必要あるかしら」

とか

「これ、守るを使う必要あるかしら」

とか、



 

このように一旦、俯瞰して冷静に考察してみると、「守る必要ないわね」とか「全く必要ないわね」と気が付くことができます。

 


場合によっては、守る意識よりも、『むしろ笑顔でいる』という意識の方が必要という真実に気がつくというトリガーであると学ぶことにもなるでしょう。




楽しい方を選ぶということね。

 
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ここまでくると、勘の鋭い方でしたら、危険予知よりもむしろ、『いい傾向の知らせ』と捉えてもいいのではという感覚になってくるでしょう。まさにその通りです。情緒に寄り添える人は賢い。これ天才。

 



俯瞰して冷静に考察したことで、いい傾向と捉えることができたとしたら、その様子は「手から離さないということができたという様子」ですので、再現性は保たれ、成功は担保されます。



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これを結論にしていいでしょう。



いつだってそう。情報が変化して現実が変化する。

エネルギーが変化して、状況が変化する。

気が好転して肉体が再生する。

 

 

良い方からみるというのはとても大事なことです。一見すると良いところが見つけられないような困難であっても、その一つ外側の尺度で視てみると、誰かに愛されていたりします。ただ純粋だからとか、素直だからってだけだったりします。真実だからってだけだったりもする。

 



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例えばゴミと言っても地球からできていたりするってことね。



皆さんも、情緒に寄り添えて、気持ちの変化を感じ取れる方ですから、脊髄からの緊張に委ねた立ち居振る舞いではなく、一旦冷静に考察してみて、緊張を使うか使わないかのご判断を下してみてください。

 


意外と、生命の危機的な状況は起きていない日常が毎日繰り広げられていて、起きるかどうかわからないことにばかりこだわってしまっているだけです。もしかしたら怖いということを生きている実感を感じるために扱っているだけなのかもしれません。

 



私たちはみんな生きていますので、緊張よりも弛緩の感覚。不安よりも大丈夫な感覚を選択するということをしましょう。

 

 



ちなみに例えばですが、その局面にいながらも「緊張していないよ」といえる人は、緊張を自覚した上で、緊張している自分をやらないという選択をし、心の乱れが整ったり、必要があれば整え、気持ちに寄り添った上で、「緊張していない」という言葉を発しています。

 




それでは今日はこの辺でおしまいにしたいと思います。




脳と神経が少し多めで学問的でしたがかなりスマートな解説記事に仕上がりました。



 

お読みになった方にはぜひやってみてほしいです。そして、今までと比べてみてどちらが心地いいか、どちらがくつろげるかをみてみてください。そして少しの間継続させて定着させてしまいましょう。刺激は減りますが、成功が増えます。

 



この記事がよかったと思っていただけたら、「ならば私はすでに成功中」と3回言っていいねをありがとうとタップ!すると昇格した気がします。



次回は引き続き、この選択についてを展開してみましょう。

 

では、素敵な午後をお過ごしください。

またね。