どうしたら自由になれるのか一方的に書いてみますね。
それでは、まず自分が自由なのか、不自由なのか感じてみましょう!
だって自分が自由なのか不自由なのか感じられないと、どちらにもなれないですよね。
では、自由だとしたら、もうそれでOKですよね。はい。終了です。
でもそうは問屋が卸さないのです。(ちょっと言い方が古い、笑)
例えば、今のあなたは自由です。現実には縄で縛られていないし、手錠もないですよね。
好きな時に好きな物を食べて、好きな時にトイレにも行けますよね。
では、自分の好きなことをできるでしょうか?
ここが、NO!なのです。
だって、仕事もあるし~。家事や洗濯もあるし~。子どももいるし~。
親の面倒も看ないといけないし~。お金もないし~。なんて思ってしまいますよね。
でもでも、それは言い訳でしかないのです。本当はソコじゃないのです。
表面上はソコです。でもメンタルの縛りは、ソコじゃないのです。
意味が分からない?では、自分のイメージの中でいいのでやってみましょう。
仕事は、やめてしまったと思ってください。
家事や洗濯もしないで大丈夫だと思ってください。
子どもの育児も大丈夫、誰かがやってくれて、すくすく育つと思ってください。
親の面倒も看なくてOK!ヘルパーさんと福祉施設で対応したと思ってください。
はい。それでは、お金もいっぱいあると思ってください。
もう宝くじでも当たったと思って、お金には困らないと思ってください。
はい。今、この状態のイメージの中で、あなたは自由でしょうか?
すべての条件が揃っています。ですから言い訳もない状態です。
今、好きにハワイにでも行って、トロピカルジュースでも飲んで笑っていられますか?
何かを気にしてしまって、行けませんよね。自由じゃないですよね。
自分が自由にしてしまったら、誰かに何か言われてしまいそうですよね。
これがメンタルブロック、心の縛りです。僕が言う呪縛です

ですから、言い訳を探して不自由を演じてしまっているのです。
その不自由を演じることで愛されて安心したいと思っているのです。
ですから、その言い訳の条件に甘んじているのです。拒否を選択しないのです。
それは、その方が攻撃されずに安心だからです。
攻撃されたら生きて行けない~見捨てられて野垂れ死ぬ~と恐怖を入れられているのです。
さあ、誰があなたを攻撃するのか?
その恐怖で縛ることに愛があるのか?
幻想の恐怖と、幻想の愛で縛られる。
この支配からの卒業。尾崎か!(笑)。すどうゆうじ
