みなさん、今日は、自由になれないのは、どうしてなのかについて書いてみます。
ちょっと深い話なので心の話のカテゴリーにしますね。
まず、自由じゃないことについてです。僕らは誰にも縛られていません。
手かせ足かせがつけられている訳でもないし、牢獄に入れられている訳でもありません。
何かやろうとすれば「自由」ではあります。何か食べたければ、自由に食べられます。
でも満足感を感じられない。本当に自由だと感じられないのです。
例えば、昼間から美味しいお寿司をお好みで食べたいとします。(回転すしは除く)
そうすると、昼間から寿司屋でお好みで食べるなんて贅沢!無駄使い!不謹慎!いけない!
と罪悪感が湧いてきたりします。そうです。この罪悪感が行動を縛っているのです。
別にお寿司屋さんじゃなくてもいいのです。何か欲しい。何かしたい。などなど何でもです。
本来は、自分のしたいことがしたい!それだけでOKなのです。
でも自分のしたいことをすることはいけない!わがまま!自分勝手!調和を乱す悪いヤツ!
そのようなジャッジメントが、罪悪感として入ってしまうのです。
そして知らないうちに我慢してしまうようになってしまうのです。
すると、その我慢は慢性化して当たり前になって我慢していることすら忘れてしまうのです。
そして今度は、無意識に我慢してしまっている自分が、我慢しない人を裁いてしまうのです。
無意識に、我慢しない自分勝手なヤツが許せない!けしからん!嫌い!となってしまうのです。
相手を裁き、怒り、悪く言ってしまうので人間関係は築けません。
でも自分はあんなヤツは嫌いだから付き合いたくもない~と思っているのです。
自分では自分が正しいと思ってしまっていますから、この現象が続いてしまうのです。
人に怒り、ムカつき、人間関係がうまく行かず、ストレスにさらされドンドン不自由になるのです。
だけどそのような不自由は、まだまだ序の口なのです。本当は、その不自由の下に
罪悪感を入れられ、どうするべきか!どうあるべきか!の呪縛(暗示)を入れられて
コントロールされてしまっているのです。そのコントロールされることによる不自由さ、苦しさを
与えている相手が、わからないので、目の前の相手に向けて怒ってしまっているのです。
ですから、本当にあなたを苦しめているのは目の前の相手ではないのです。
そのような罪悪感と罪と罰をつくりだし、裁くこの世のシステム、それをつくっている人です。
僕らの多くは、自由なようで心は収容所に入ったような状態なのです。不自由で苦しいのです。
でもそれが当たり前、みんな我慢している!と我慢を強いられているのです。
身体は自由なようで、本当の意味で自由になんてできていないのです。
そして、収容所から出ることはできない!無理だ!仮に出られても、出たら生きていけない!と
不安や恐怖を入れ込み、収容所から出させないようにしているのです。
ですから僕らは、なかなか自由になんてなれないのですね。
だけど、いつものことですけど、自分はどうしたいのか そこが本当の自己責任なのです。
自己責任は、収容所内の自己責任ではありません。自分の人生の自己責任です。
自分は悪いと自分を裁きますか それとも自分は自由だと認めますか
そのような人生になります。それを選ぶことが本当の自己責任なのです。すどうゆうじ
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