みなさん、今日は、創始者の想いに焦点を当ててみます。
仏教でもキリスト教でも、そして現在流行りのフランチャイズ化しているスピリチュアルなど
いろいろな精神世界、スピリチュアルな世界、エネルギーワークがありますよね。
ですが僕が、心の視点で見ると、どれも、それ本当なの
と思うのです。
別に宗教などを否定している訳ではありません。それは個人の自由なのです。
僕が、お伝えしたいことは、例えばその聖書の教義はキリストが求めたものなのか
言ったにしても、もっと深い意味を理解して書かれていないのでないか
それを、権力者が人を支配するのに都合がいいように書き換えてないですか
そもそも創始者は、宗教集団をつくることを意図していたでしょうか
戒律をつくり、破った者を裁き、罪悪感を与え、心の奴隷にするようなことを認めたでしょうか
教義外の勢力を攻撃しても正当化したでしょうか
それを神の名のもとに、行うことを創始者は、何と思うでしょうか
果たして、創始者は、偶像を崇拝しろと言ったのでしょうか
エネルギーワークも同じです。資格を与え、お金を取るビジネスを教えたのでしょうか
お金を取るのが悪いとかも言っていないですよ。
ただそこには、お金ではない目的や想いがあったはずなのです。
それが抜けてしまって、テクニックとエネルギーだけのバラ売りに
なってしまっては、創始者はどう思うでしょうか
たぶん、どの創始者が、伝えたかったものも、苦しみからの解放
心の自由、生き生きと生きること
、だったのではないでしょうか
それが本当は、すべて自分の中にあると伝えたかったのではないでしょうか
そして、それらを捻じ曲げてしまったのも人間のエゴかも知れません。
僕がお伝えしたいことは、初心に帰りましょう
創始者の想いに帰りましょう そこは心の奥底では、つながっているはずです。
前の記事に引き続き、みなさんは、どう思われますか すどうゆうじ