みなさん、今日は宗教のタブーについて触れます。
自分が宗教その他に救いを求めている方は読まないでください。
苦しくなるので、文句を言いたくなってしまうかと思われます。
いきなりですが、その宗教で救われて幸せを満喫しているのでしょうか
本当の意味で安心感があるでしょうか
いつか幸せになるのではなくて、今、幸せを感じているでしょうか
義務的な役割りを果たし、かりそめの安心を手にしていないでしょうか
僕のところに相談に来る方で、宗教に入っている方は
ハッキリ言って自分と向かい合うことができなくなります。
その理由は、本当の自分と神が言っていることが異なるからです。
神が言っていることとは、神が現われて言っているのではなくて
その宗教の教義や神父や牧師、住職、僧侶などが言ったことです。
そこで本当の自分を信じるのか、神を信じるのかの葛藤が起きるのです。
言っていることが同じであれば葛藤や対立は起きません。
ですが本当の自分と神(教義等)は、まったく正反対なのです。
そして葛藤の挙げ句の選択肢としては、「神を捨てられない」となるのです。
と言うことは、本当の自分は、どうしてしまったのでしょう
それは本当の自分を捨ててしまったか、隠して見ないようにしてしまったかです。
それでは、どうして神を選んだのでしょう
それは、神が全能とされているからです。神に間違いはないと思っているからです。
神は全能で、自分は不完全と思っているからです。
それに神を捨てたら、バチが当たる、罰せられるという恐怖が入れられています。
ですが、それらは入れられた恐怖です。
もちろん、その恐怖は神が入れたのではなく、別の誰かですよね。
でもそれは、生きていけないくらいの恐怖になっているのです。
生き方、選択の仕方として、どちらが良くて、どちらが悪いとかはありません。
そこは、自分がどう生きたいかの問題になります。
その宗教で満たされて、幸せを感じていれば、それでOKです。
その人の人生は、それでいいのです。
自分と向かい合い、自分の人生を生きたい人は、自分の人生を生きればいいのです。
たった一度の人生 輪廻転生も関係なしに、
今の人生、今のこの時間を、どう生きたいでしょうかね。
すべては、「今」の中にあります。前世にも来世にもないし、過去や未来にもありません。
そんな自分の「今」を、どう使いますか
あなたの「今」の、その選択が自分の人生をつくります。
なりたい人生を、あなたが、あなたの責任でお選びください。 すどうゆうじ