みなさん、今日はスピリチュアルを受けたくなる、その心理についてです。
僕は、よく「このスピリチュアルを受けたいけど、どうですか?」と質問されることがあります。
僕は、スピリチュアルを否定も肯定もしません。
なぜなら「僕」というものは、セッションでは無いからです。
ただの真っ白な状態で相対しているだけなのです。
ですから、その質問をクライアントさんの心に聴くのです。
そうすると、「NO」との答えが返ってくるのです。
その理由は、そのスピリチュアルが受けたい気持ちは表面上のもので
「不安がある」から、それを消したいから「受けたい」となっている、と返ってくるのです。
そしてその不安は、もちろんそのクライアントさんの本当の感情ではなく
「私には、できない」という呪縛が入ってしまっているからです。
ですから向かい合うべきは、自分のその呪縛なのです。
免許や免状は、形でしかありません。それで一時的に「不安」を見ないで安心するだけなのです。
自分は、歩けないから松葉杖が必要と思って、すがっているだけなのです。
そう思っているうちは、この松葉杖はダメだ もっと良い松葉杖がほしい
もっとすごい松葉杖がほしい と、他に求めてしまうのです。
ですが、見つめるべきは、自分の中の不安であり、スピリチュアルの種類ではないのです。
そして、その不安は、自分に入れられてしまった様々な呪縛です。
スピリチュアルは、それらに気づくためのスピリチュアルで入口でしかありません。
僕たちの多くの本当のスピリチュアリティは「無」です。(インディゴチルドレンは別)
ですから、そのスピリチュアルを捨てるくらいの覚悟が必要なのです。
捨てられないとしたら、その執着、その不安が、本当の自分のものなのか見極める必要があります。
だって、その執着や不安は、それがないとダメな自分が前提になっていますからね。
僕は、スピリチュアルを否定している訳では、ありません。
ただ本質を見ていただきたいのです。本当は、歩ける自分に気づいてほしいのです。
スピリチュアルの免許や免状に振り回されて欲しくないのです。
その免許や免状は、墓場まで持って行けません。
自分が死んで、無になる時に、手放すことになるのです。
その時に気づいても、もうこの人生では、時間はありません。
であれば、そんなに遠回りすることもないのです。
気づくことで変えられます。人間、誰もがスピリチュアリティです。
そんな同志を、お待ちしております。すどうゆうじ