スピリチュアルを受けたい心の奥の奥!本当の自分は? | 心に聴いて悩みを100%改善しているセラピストのブログ

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お医者さんに通っても治らない原因不明の症状を100%改善しているセラピストのブログです。カウンセリングに通っても回復できない人、スピリチュアルでも癒されなかった方は是非一度ご相談ください。

みなさん、今日はスピリチュアルナゾの人を受けたくなる、その心理についてです。


僕は、よく「このスピリチュアルを受けたいけど、どうですか?」と質問されることがあります。


僕は、スピリチュアルを否定も肯定もしません。


なぜなら「僕」というものは、セッションでは無いからです。


ただの真っ白な状態で相対しているだけなのです。


ですから、その質問をクライアントさんの心ドキドキに聴くのです。


そうすると、「NOビックリマーク」との答えが返ってくるのです。


その理由は、そのスピリチュアルが受けたい気持ちは表面上のもので


「不安がある」から、それを消したいから「受けたい」となっている、と返ってくるのです。


そしてその不安は、もちろんそのクライアントさんの本当の感情ではなく


「私には、できないガーン汗」という呪縛が入ってしまっているからです。


ですから向かい合うべきは、自分のその呪縛なのです。


免許や免状は、形でしかありません。それで一時的に「不安」を見ないで安心するだけなのです。


自分は、歩けないから松葉杖が必要と思って、すがっているだけなのです。


そう思っているうちは、この松葉杖はダメだビックリマーク もっと良い松葉杖がほしいビックリマーク


もっとすごい松葉杖がほしいビックリマーク と、他に求めてしまうのです。


ですが、見つめるべきは、自分の中の不安であり、スピリチュアルの種類ではないのです。


そして、その不安は、自分に入れられてしまった様々な呪縛です。


スピリチュアルは、それらに気づくためのスピリチュアルで入口でしかありません。


僕たちの多くの本当のスピリチュアリティは「無」です。(インディゴチルドレンは別)


ですから、そのスピリチュアルを捨てるくらいの覚悟が必要なのです。


捨てられないとしたら、その執着、その不安が、本当の自分のものなのか見極める必要があります。


だって、その執着や不安は、それがないとダメな自分が前提になっていますからね。


僕は、スピリチュアルを否定している訳では、ありません。


ただ本質を見ていただきたいのです。本当は、歩ける自分に気づいてほしいのです。


スピリチュアルの免許や免状に振り回されて欲しくないのです。


その免許や免状は、墓場まで持って行けません。


自分が死んで、無になる時に、手放すことになるのです。


その時に気づいても、もうこの人生では、時間はありません。


であれば、そんなに遠回りすることもないのです。


気づくことで変えられます。人間、誰もがスピリチュアリティです。


そんな同志を、お待ちしております。すどうゆうじ男の子