前々回によく怒る人と、よく怒られる人
の話を書きました。
その中で、怒る人に無能感や孤独感があるからと書きましたが
どうして、そこに繋がっているのか、もう少し説明させていただきますね。
そしてその無能感や孤独感も、本来は自分のものでない なんて
どういうことなのかを、もう少し説明させていただこうと思います。
長くなるかも知れませんが、興味がある方は、読んでみてくださいね。
ではまず、表面的な怒りの感情の下の部分には、不安感が存在しています。
ですからその不安感を消すために、人一倍努力をしたり、できない自分を表現したりしているのです。
人一倍努力して、自分の不安を解消しているタイプは、できない人に怒ります。
できないことに対して、「それは努力が足りない」、「怠けている」と裁いて怒ってしまう訳です。
そしてそれとは逆に、自分で出来ない人を演じて許してもらうタイプの人がいます。
そちらの方は、怒られても出来ない自分を演じてその場を切り抜けます。
ですが本音では謝ってもいませんし、反省もしていません。
それに実は、本音では相手にムカついています。
怒る人と同じように、怒りを抱えているのです。
それらの隠された感情は、溜まった時に、親しい人にキレることで表に出てしまったり
その自分を裁く人に爆発してしまって、縁が切れてしまったりするのです。
どこにもその怒りが出せない場合は、うつになってしまったり、身体症状に出ます。
一見違うタイプのようですが、どちらのタイプも水面下に怒りを抱えていて
長い間の人間関係、対人コミュニケーションが、うまく行かないということが共通しているのです。
ではその不安感は、一体どこから来ているのでしょう
それは漠然と、自分では見えない部分に「見捨てられ不安」を抱えているからです。
その見捨てられ不安自体は、深い部分なので見えないのですが
不安は意識の水面下ギリギリで感じられるのです。
ですから反応して対処しているのですね。
そしてそのネックとなっている見捨てられ不安は、一体どこから来ているのでしょうか
それは誰かに「自分は無能だ」、「だから誰にも受け入れられない
」、
「みんなに見捨てられて孤独になる」と入れられているのです。
ですがそれらは、本来の自分の感覚ではありません。
本来の自分は、自分で自分をそのように悲観的には思わないのです。
それでも入れられてしまった孤独の感覚は、自分の中にあるので自分のものと認識してしまいます。
ですから努力をしたり、出来ない自分を演じることで、その不安感から解放されようとしているのです。
だけどその「みんなに見捨てられて孤独になる」との暗示は強烈です。
本当にその見えない孤独の暗示のサイクルの中で怒り、
現実に孤立したり、本当に孤独にさせられてしまうのです
。
そしてまたその暗示が発動し、益々努力をしたり、出来ない自分を演じます。
これらは、エンドレスな怒りと孤独
のサイクルになっているのです。
そして怒ることで一瞬その不安が忘れられるのです。
これは前にも書きました脳内ホルモン、エンドルフィンの作用です。
このホルモンは脳内麻薬と言われていて安心感を与えます。
ですから怒った後にホルモンの影響で安心できてしまうのです。
このために怒る相手を探してしまうのです。
理由は何でもいいのです。その怒りたい時(ホルモン切れの時)に、
自分に危害を加えない誰かがいてくれればOKなのです。
この、孤独→怒り→怒って安心→反省して孤独の魔のサイクルを知る必要があるのです。
この根本の「孤独」が本当の自分にはないことを知る必要があるのです。
その「孤独」をあなたに入れ、あなたに孤独の恐怖を入れて
本当の孤独に導いている犯人を知る必要があるのです。
本当のあなたは、孤独でなんか悩まない、人に良い顔して我慢することもない。
自由で存在しているだけで尊いのです。
誰があなたに極度の努力をさせているのか、
誰があなたに出来ない人を演じさせているのか、
誰があなたに孤独を刷り込み、あなたを怒らせているのでしょう。
本当のあなたは、怒ってなんかいない。
不安や恐怖もないのです。それに怒りや憎しみもありません。
ネガティブなんて何もない。もっと自由で光輝いているのです。
長くなりました。みなさん、見えない攻撃に気をつけてくださいね。すどうゆうじ