「真綿」ということばがありますね。「まわたで首を絞める」というときの「真綿」です。
これは「綿」のことではなく、蚕の屑繭をほぐしたものを指します。つまり繊維的には「絹」です。
日本に綿が渡来する前は、わたといえば絹だったのです。
ふとんにも真綿を詰めていた訳ですね。
しかし、蚕の養殖、絹の採取にはたいへんな労力がかかります。だから絹製品は高価なのです。
したがって、古代において絹製品を使えるのは特権階級のみでした。
この真綿、つまり屑繭の分解したものは、白くてぶにゅぶにゅして、ぐじゃぐじゃしたものだろうと思います。繭から生糸を取るときは熱湯で煮ますからね。
その「わた」の見た目に、魚や動物の臓物が似ていたのじゃないでしょうか。
腹から出てくるわただから、「はらわた」。
ナマコのわただから、このわた。
わたという言葉が、まず先に存在したものと感じさせます。
さて、時代が下って木綿が伝わります。河内とか伊勢で盛んに栽培されたようです。
木綿は絹に比べて、遥かに大量生産ができるので、比較的安価に消費できます。
庶民の衣類は葛や、麻、苧痲から木綿中心に替って行った訳ですね。それほど綿とは有用な植物であったと。
当初、綿から作ったわたを、それまでの繭から作ったわたに対して、何と呼んだか?
「木わた」と呼んだんですね。木(=植物)から採れるわただといって。
それが「木綿(もめん)」という言葉になった。
しかし、綿があまりにも有用なもんだから、わたといえば「木綿」を指すようになってしまった。
真綿のことなんか、誰も考えなくなってしまいました。
「真綿色したシクラメンほど、すがしいものはない」
小椋佳さんは歌いました。あれは絹の色、ということなんですね。
すべすべとして、光沢を帯びた。
シルクやサテンというより、真綿という方が清楚で歌に相応しい。
やはり天才ですね。
これはすべて個人のごたくである。
(ちなみに、「ごたく」とは「御託宣」のこと。本当は神の御告げなんですけど……)