南円堂創建1200年記念、興福寺国宝特別公開2013なのだそうだ。
興福寺といえば、藤原氏の氏寺。
僧兵とか強訴とか、歴史的には物騒なイメージが先行してしまうのだが、それがすべてではなかろう。
やはり信仰の中心としての、文化的な存在感も大きいはずである。
さて、運慶の天才ぶりである。
父、康慶の作と比しても、まったく世界を異にする力量である。
だが、運慶以前の仏師を貶めてみるのは筋違いだ。そもそも仏とは尊崇の対象であって、数多くの約束事の上に造形する「アイコン」であったのだから。
そこに「生命」を吹き込んだのが、運慶である。
生々しい仏像をよしとするか?
当時は大問題になったのではなかろうか。それでも運慶は残った。否定できない美と精神性を両立させたからである。
そこにこそ運慶の天才が存する。
日本のルネッサンスは、ここに始まったのであろう。