東漢氏(やまとのあやうじ、やまとのあやし)を考える。その導入編。 | 「藍染 迅(超時空伝説研究所改め)」の部屋

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小説家ワナビーの「藍染 迅(あいぞめ じん)」です。

書籍化・商業化を目指し、各種コンテストに挑戦しながら、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ、アルファポリスなどに作品を投稿しています。

代表作は異世界ファンタジー「「飯屋のせがれ、魔術師になる。」。

「鉄と草の血脈-天神編」では、菅原道真と藤原時平の対決を描いている。
ということは、土師氏と藤原氏の対立構造でもある。

藤原氏とは何なのか?

始祖は、ご存じ藤原鎌足、すなわち中臣鎌足である。

大化の改新、またの名を「乙巳(いっし)の変」で、中大兄皇子とともに蘇我入鹿を滅ぼした。

従来的な教科書によれば、私利私欲を貪る蘇我氏を滅ぼして天皇親政を引いた出来事とされる。
だが、当研究所的にはいかがなものかと思う。

蘇我氏は公的に裁かれて刑を受けたわけでも何でもない。
ただ単に入鹿が討たれただけである。

つまるところ権力闘争であり、マフィア同士の抗争のようなものではなかったか。
入鹿を倒して、中臣氏が勢力を奪っただけのことである。

なぜそのような「私闘」に、中大兄がくみしたのか?

①見返りを期待していた。
②鎌足に弱みを握られていた。

どちらかであろう。
あるいは両方だったのかもしれない。

①の見返りを期待するとしたら、何か?
それは皇位継承しかあるまい。ライバルは大海人皇子。中大兄には、このままでは大海人皇子に皇位を奪われるという危機感があったのではないか。

壬申の乱で大海人皇子は、大伴氏、東漢氏などの支えにより中大兄の子である大友皇子を討ち滅ぼし、皇位につくことができた。この辺のネットワークを中大兄は恐れ、ライバル視していたのではないか。

東漢氏は渡来人系の氏族である。
壬申の乱以前は蘇我氏に従っていたが、乱の際に大海人皇子についたとされる。
ということは、そもそも東漢氏は中大兄にとって「邪魔者」だったのだ。

天武天皇の治世下、飛鳥浄御原宮付近の工房を支えていたのは葛城地区出自の渡来系工人であった。
それは東漢氏中心であったと思われる。

前時代、蘇我氏の繁栄を支えていたのも、東漢氏が持つ先端技術だったと思われる。
鎌足は蘇我氏の立場に取って代わろうとしたのだ。大義名分として担いだ看板が、中大兄皇子である。

さて、そうすると、鎌足が経営基盤として抱え込んでいた渡来系氏族とはどこの誰であったか?
まだこれだという仮説を持たないのだが、ひとつの可能性として七世紀来の新規渡来人集団ではなかったかと考えている。

となれば、乙巳の変は「旧秩序対新秩序」、「旧技術対新技術」の戦いであったと考えられる。
このあたりは今後の研究課題としたい。

②の「弱み」であるが、皇位継承順位を上げることに関して後ろめたい画策を行っていたのではないかと想像される。母である皇極天皇/斉明天皇の重祚は別として、叔父である軽皇子、兄弟である古人大兄皇子に関しては何らかの裏工作を行っていたのではないか?

その辺もまた、研究課題である。

最後に興味深い事実として、中大兄の諱(いみな)がある。
すなわち、「葛城」。葛城系渡来人集団とのつながりを想像させるではないか。

これはすべて想像の産物である。

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