著者は中臣鎌足を百済王子豊璋であると主張するが、いかにも論拠が弱い。
要約すると、「時期が一致している」という主張しか残らない。
否定する根拠もないが、肯定する根拠もない。
当研究所としても、藤原氏繁栄の影に朝鮮半島からの帰化人が活躍したのではないかと推測はするが、鎌足が百済皇子である必要はない。
どんな氏族であっても、優秀な渡来人を利用する動機はあったからである。
義経=ジンギスカンのごとき説を遊ばせるのは楽しいのであるが、生産性はあまり高くない。あくまでも、「遊び」として「What if...」の世界をを楽しむべきであろう。
さて、件の書籍に面白いフレーズが出て来た。日本書紀の一節だという。
「是歳、蛇と犬と相交めり。俄ありて倶に死ぬ」
面白いじゃないか。
著者は、蛇=物部氏、犬=蘇我氏と解釈した。はたしてそうか。
当研究所的にいえば、「蛇(ヲロチ)」とは「スサノヲ」のことであり、出雲族を象徴する。「犬」といえば、「犬神人(いぬじにん)」、古代ユダヤ人の末裔でしょう。
すなわち、「出雲族と土師氏が手を結んだが、しばらくして滅びた」ということに、なりはしないか。
天武崩御直後にそういう情勢があったかどうか。ほじくり返すのも面白い。
なにせ、壬申の乱で天武が勝ったのは土師氏の応援によるものではないかと想像を巡らせていたので、天武体制崩壊の過程を想像するのもまた興味深いものがある。
ざっくり考えると、土師氏的には天武亡き後、天智系には組みせない動機があり、出雲系と同盟を結ぼうとしたのだが、それが露見して藤原氏につぶされたというのはどうだろう。
不比等とはそれくらいの策士だったというお話。
これはすべて想像の産物である。
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