「信長の黄金」(その1) | 「藍染 迅(超時空伝説研究所改め)」の部屋

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小説家ワナビーの「藍染 迅(あいぞめ じん)」です。

書籍化・商業化を目指し、各種コンテストに挑戦しながら、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ、アルファポリスなどに作品を投稿しています。

代表作は異世界ファンタジー「「飯屋のせがれ、魔術師になる。」。

1. 信長の強さの秘密:
 
織田信長軍だけが、なぜ連戦連勝だったのか?
浅井長政に裏切られ、浅井・朝倉連合軍に挟撃されたとき以外、信長は敗戦らしい敗戦をしたことがない。
 
なぜか。
 
戦略に優れていた。
兵が強かった。
優秀な将に恵まれていた。
運が良かった。
 
それだけが理由ではないだろう。
 
強いと言われた武田氏も、上杉、毛利も、身近な領国争いに明け暮れていた。
信長のように版図を広げた戦国大名はほかに存在しない。
 
すべては技術と経営の裏付けがあればこそである。
 
戦争とは総合力のぶつけ合いである。
 
ある意味では現代の企業経営と似ている。
経営要素を整え、その組み合わせを最適化する。
 
時空を超えて、最強の経営者信長の秘密に迫ろう。
 
2. 農業政策:
 
近世以前においては、農業生産力が国力の基礎をなす。
 
農業生産力が大きければ、生産に従事しない職業軍人を養うことができる。
織田軍団の強さは、職業軍人を信長直属の部隊として常時編成できたことに由来する。
 
同じことは、どの大名も考えていただろう。
しかし、信長が恵まれていた点がある。
 
それは出自である清洲の地理である。
 
清洲がある濃尾平野は、日本有数の広さを誇る。
当然それだけ農地として利用しやすい土地が多いということだ。
 
岡崎平野、伊勢平野もすぐそばに点在しており、極めて豊かな土地柄であった。
 
豊かな収穫は兵士を養う兵糧となり、商品として流通させれば物資購入の資金となる。
信長軍団の躍進において、まず農業生産の豊かさがその原動力となった。
 
信長の農業政策としては、「差出検地」が知られている。
 
検地といえば、隠し田まで見つけ出し、収穫量を細かく測定するイメージがある。
年貢逃れを許さない、農民搾取の施策という見方である。
 
信長の差出検地は、申告制である。
少しくらいの「申告漏れ」を咎めるよりも、農村自体が豊かになることの方が重要である。
新田開発や農機具整備の余力を残さなければ、拡大再生産は期待できない。
 
それもこれも、もともと十分な収穫高がある濃尾平野だからできたことといえる。
 
3. 商業政策:
 
「楽市楽座」は誰もが知っている。
必ずしも信長のオリジナルではなく、すべてのギルドを廃止したわけでもない。
 
それでも、商業を中心とした産業の自由化を推進したことは間違いない。
 
城下町を形成し、家臣団を城の周辺に住まわせ、商人や職人を集めたこともよく知られている。
 
それまでは国防上の理由で、城といえば山城が当たり前であった。
攻めにくく守りやすい、山の頂上などに築城していた。
 
当然、味方や商人たちも近づきにくく、孤立した存在となってしまう。
物資も搬入しにくい上、水源を確保するのも困難である。
 
そこで、信長は敵城を攻めるときに兵糧攻めを多用した。
城を包囲し、供給線(兵站)を絶ってしまえば、戦わずして城は落ちる。
 
戦において重要なものは、兵站(ロジスティックス)である。
 
平城は守りに弱そうだが、籠城に頼らず、野戦主体の戦略をとれば問題は少ない。
いざ攻められたときも、友軍が駆け付けるまで持ちこたえればよいのだ。
そのための兵糧は、平城ならば十分蓄えられる。
 
信長は城周辺に町を開き、商人を呼び寄せた。
商業が盛んになれば経済が豊かになり、富が富を呼ぶことを知っていたのだ。
 
当時の経済システムにおいて、城とは物資を買い入れる大口顧客であった。
当然商人たちは、一朝事あるとき「お得意様」に報いるために「矢銭」と称して軍資金の援助を行った。
 
信長が堺商人に2万貫の矢銭供出を命じたことが、両者の確執を招いたと言われている。
しかし、見方を変えれば当たり前のことである。
 
さんざん銃や刀剣などの武器、火薬を購入してきた相手である。
その儲けの一部を還元してくれといっただけのことだ。
 
堺商人が抵抗したのは金額がどうこうではなく、一大名に味方して中立の立場を崩すことに対してであった。