「信長の黄金」(その2) | 「藍染 迅(超時空伝説研究所改め)」の部屋

「藍染 迅(超時空伝説研究所改め)」の部屋

小説家ワナビーの「藍染 迅(あいぞめ じん)」です。

書籍化・商業化を目指し、各種コンテストに挑戦しながら、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ、アルファポリスなどに作品を投稿しています。

代表作は異世界ファンタジー「「飯屋のせがれ、魔術師になる。」。

4. 工業政策:
 
ここでも楽市楽座の自由化政策と、貿易特区としての堺活用など既得権保護とを自在に使い分けている。
 
特に堺は、火縄銃と火薬の供給元として重要であった。
 
この時代に使われていた「黒色火薬」は、木炭、硝石、硫黄を主原料とする。
 
木炭と硫黄は国内調達が可能である。
殊に硫黄は、火山国日本の特産品として中国などの外国に輸出されていた。
 
輸出向けの硫黄は、薩摩硫黄島がおもな産地であった。
これは海外からの商船が寄港するのに便利な場所だったからである。
 
国内向けであれば、各地に存在する火山地帯で硫黄は容易に入手できる。
たとえば、伊豆や箱根(地獄谷)である。
 
問題は硝石だ。
 
硝石は国内では採掘できない。
インドやタイなどからの輸入に頼らざるを得なかった。
 
これを買い上げて火薬を精製し、巨利を上げたのが堺商人である。
また堺は火縄銃の大量生産にも携わっていた。
 
当時の火縄銃は、基本的に一品ものであった。
鍛冶技術を基にした製造法では、一品ごとに寸法がばらつき、そうならざるを得なかったのである。
ここに部品標準化の概念を持ち込み、大量生産を可能にしたのが堺の鉄砲鍛冶であった。
 
堺商人の活躍については、堺市のホームページにわかりやすい読み物がある。
http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_kokusai/asia_hagukumu.html
 
硝石を国内で精製しようという試みもあった。
それについては、項を改めて語ろう。
 
5. 流通政策:
 
商業を起こし、富を集積するためには流通を活発にする必要がある。
 
中世的閉鎖社会では人と物資の流通は制限され、自給自足ないし地産地消が主流であった。
 
信長は関所を廃し、街道を整備した。
 
一般に経済の発展は、物資の移動速度に比例する。
近世日本の移動手段は、徒歩、荷車、牛車、馬である。
 
人と馬は、通行に数十センチの横幅しか必要としないが、運べる荷の量には限りがある。
大量に物資を運ぼうとすれば、荷車を利用することになる。
 
車を通すためには、ある程度の道幅と路面の整備が欠かせない。
 
信長は支配圏内の街道を整備し、軍需民需両面の物資移動効率を飛躍的に高めた。
 
敵の進軍速度を上げることにつながり、軍事的には問題があるという見方もある。
しかし、整備範囲を領国内に限れば、有利になるのは友軍に限定できる。
 
辺境防衛と領内交通の整備。二つを結びつけることで、欠点はカバーできる。
信長は隣国との不可侵同盟結成にも意を砕いている。
 
さらに大量の物資輸送をめざすなら、交通手段は船舶となる。
 
信長は水上交通の要所制圧に精力を傾けた。
伊勢長島、石山(大坂)、長浜、坂本、安土、そして堺。
 
港を抑えるだけでは十分ではない。
輸送船あるところに海賊あり。
 
ゆえに信長は九鬼水軍を自軍に組み込み、新型軍船の開発も推進したのだ。
 
6. 経済政策:
 
信長の経済政策といえば「撰銭令」である。
 
この時代、日本での貨幣鋳造は十分に行われておらず、拡大する貨幣経済に対応しきれなかった。
やむなく商人たちは中国から銅銭を輸入し、国内での決済手段として流通させていた。
 
しかしそれでも貨幣は不足した。
また、銅貨は使用を続けると、摩耗したり欠けたりした。
 
粗悪な私鋳銭や贋金も紛れ込んでいた。
 
人々は粗悪な銭(悪銭)の受け取りを拒んだ。
現在の通貨とは異なり、国家による支払い保証がないのであるから当然のことである。
 
貨幣でさえ、一つの商品なのであった。
 
しかしそれでは商品取引に差し支える。
そこで時の為政者たちは、撰銭を禁ずる法を発し、強制的に悪銭を受け取らせた。
すると、人々は支払いには悪銭を用い、良銭を手元に蓄えるようになる。
 
これが、「悪貨は良貨を駆逐する」という経済学の法則である。
 
信長の撰銭令は一味違った。
悪貨と良貨の交換レートを定め、安心して悪貨を受け取れるようにした。
 
撰銭令によって信長が得をするわけではない。
しかし、商人は信長領土であれば安心して商売ができる。
その信頼が経済の活性化につながるのだ。
 
おそらく信長は、高品質の通貨を発行流通させたいという希望を持っていただろう。
この時代の日本では、銅も銀も潤沢に採掘されていたのであるから。
 
それもこれも、本能寺の変によって幻となった。

 
 信長の旗印は、「永楽通宝」であった。