アンチビーガンのビーガン攻撃について | フィロブロ @スリー管理術

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オカメインコのソフィによるいやしの空間

私はビーガンではないし、厳密にベジタリアンでもない。けれども、家畜であるとか、食肉に対しては反対する。もし野菜だけ食べるとしたら、食生活も大変なのだ。大豆ミートなどの食習慣が社会全体に広がっていってほしいと望んでいる。

 

昨今ビーガンを攻撃する人たちをよく見聞きする。なぜ彼らはビーガンを憎むのか。アンチビーガンがよく言うことに次のようなものがある。

「昆虫は食べていいんですか?」

「野菜も命があるでしょう。」

「化粧品や薬など動物実験をしたものをあなたは使っているのでは? 」

私見だが、それに対してはこう言うことができるのではないか。

 

それは自分で判断することだ、と。人に聞くことではない。人間という動物からどれほど距離で線引きをするか。どこから殺しても良いのか、どこから食べて良いのか、その判断は各々自分で判断すること、決めることだ。

例えば先程の例で言えば、命がある野菜を食べるのかどうかも線引きなのだ。化粧品や薬、医学や化学の実験は良いのか、悪いのか、自分はそれを使用するのかどうかもその人自身の判断による。

 

ビーガンのように、その線引きが人間からかなり離れていくとしたらその生活は大変であろう。しかし、それまでして信念を貫くこのような人たちを私は尊敬してやまないのである。逆に、動物を殺すこと、動物を食べることに何の罪責感もない人たちが異常に感じる。所謂、サイコパス度がかなり強いのではないかと言う懸念だ。

 

つまりアンチビーガンが当たり前のことを発言しているつもりで意見を述べるようすは、あまりに軽薄であり、幼稚に映る。もう一度言うが、何を食べるかはそれぞれが個人で判断することだ。だが、その判断には道徳心や良心、思想などその人格に関わる大切なものが含まれていることを忘れてはならない。