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「五十嵐さん、私はカウンセラーであって医者ではないので、正式な診断はできません。でも、五十嵐さんは心の病気にかかっています。五十嵐さんは統合失調症です。」
2月のカウンセリングでT先生がいくぶん申し訳なさそうに言った言葉である。
T先生には2009年までの自叙伝を読んでもらい、またホームレス生活をしていることは
話していた。しかし、ぶっかけなどの異常行為が習慣化していることについては話していなかった。にも関わらず統合失調症と言われたことには納得のいかないものがあった。
――――以前「純と愛」というドラマがあった。「純と愛」はNHK連続テレビ小説、いわゆる朝ドラ枠で2012年10月~2013年3月の期間に放送されていた。「純と愛」は主人公純とその彼氏、愛(いとし)の物語である。
愛は他人の顔を見ただけで、その心の声を読み取れるという特質を持っていた。それがいわゆる妄想ではなく、本当にそのような不思議が存在するというのがこのドラマの設定だった。ある時母親の命令で精神科を受診した愛は、精神科医に「統合失調症だ」と言われる。これに対して愛は、精神科医の心の声を読み取って「自分は病気ではない」と反論した。このシーンは妙に私の印象に残ったが、後に自分が統合失調症と言われるとは思っていなかった。
「純と愛」は私にとっては興味深いドラマだった。例えば、純の勤め先の上司で純と話しているとやたらくしゃみをする「くしゃみじじい」というのが出てきたが、これは暗にPATMを表現しているように思えた。また愛の父親は耳鳴りに苦しんでいたが、これも私と共通していた。
私は「純と愛」にリアルなものを感じていた。まったくの架空の物語ではなく、現実に愛のような特質の持ち主がいて、それをモデルにしているような印象を受けたのである。これは単なる私の印象であって、製作者側が実際にどのような意図があったかは私には分からない。しかしNHKがこのようなドラマを放送したことに、感じるところがあった。「心はプルシアンブルー」もまた社会の大きな流れの中の1つの現象なのかもしれない、という考えがうまれるきっかけになったのが「純と愛」だった―――
この「純と愛」を見ていた影響もあって、私は精神医学というものにあまり良いイメージを抱いていない。
(精神世界にひそむ不思議に目を背け、おかしなことを言い出した人に精神病のレッテルを貼っているだけなのではないか)
精神医学に対するこのような疑念は、私の心の中に少なからず存在する。
それはさておき、この時のT先生の見立てをきっかけに、統合失調症に関心を抱くようになった。いくつか本をあたってみたところ、中には参考になりそうなものもあった。
「「イヤな気持ち」を消す技術」(苫米地英人著/フォレスト出版)には次のように書かれている。
「統合失調症というと、どことなく統合下手という印象を持ってしまうが、むしろ統合のしかたが上手すぎるのです。私はかねてから統合失調症は統合しすぎちゃう病と呼んだほうがふさわしいといってきたくらいです。」
ちなみに統合失調症は以前は精神分裂病という名称だったが、同じ理由で精神統一病のほうがふさわしい、という指摘をウェブ上で発見した。
これらの指摘は私にとって大いに頷けるものである。
私の中には自らの経験を統合的に説明したいという欲求がある。その欲求ゆえに偶然の存在を認めない偶然不信派のうみだす仮説が魅力的にうつり影響を受けることになる。そうした状態は統合上手とか統合し過ぎ病と表現することもできる。
しかし、病気の症状が統合上手であるというのは奇妙な感じがする。例えばピアノを弾くのが上手な人に「あなたがピアノが上手なのは病気だからですよ」と言っても絶対に納得しないだろう。私もまた統合上手なのは病気だからだと言われても納得できない。
そのような思いを胸にT先生に
「自分が病気だとは思わないです」
と言ってみたところ
「統合失調症の人は皆さんそうおっしゃられるんです。専門的には病識がないという言い方をするんですけどね。だから自分で病気でないと言ってもあまり意味がないんですよ」
と教えてくれた。私見であるが、いわゆる統合失調者に病識がないのは、その症状の中に上手であること、得意であることが含まれているからに違いないと思う。
もう1冊印象に残ったのは「専門医がやさしく語るはじめての精神医学」(渡辺雅幸著/中山書店)という本だった。
この本によると、統合失調者は生活障害(ADL)を抱えていることが多いという。整理整頓ができない、仕事の覚えが悪い、対人能力に問題があるといった生活障害の症状はどれも身に覚えのあるものばかりである。私が生活障害を抱えていることは間違いないと思う。
これらの本に書いてあったことをふまえれば、「五十嵐久敏が統合失調症である」という
T先生の見立てもあながち的外れではないことは理解できたが、病識を持つには至っていない。
(T先生はぶっかけのことなどは知らずに統合失調症であると判断した。それらのことも話したら、完全に異常者だと思われるに違いない)
そう思うと自らのおかれている状況が限りなく心細く感じられた。
このような時、山梨学院が予想通りシードを取っていれば、統合失調症だろうがなんだろうが知ったことではないと開き直れた筈である。しかし現実は途中棄権で、「心はプルシアンブルー」に対する確信もゆらいでいる状態だった。
(なるようになれ)
運命を天に任せる気持ちで、久しぶりのホームレスの冬を乗りきった。