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箱根駅伝の直後から私の心の中には次のような疑問が存在した。
(次回91回大会でも「心はプルシアンブルー」は続くのだろうか?)
この疑問に対して、続行説派・終了説派に真っ二つに分かれた。
続行説派の論拠は次の1点に集約される。
(小学5年時に自我が芽生え、精神状態が存在するようになって以降、すべての喜び、苦しみが山梨学院の結果に反映されてきた。2014年もまたさまざまな苦楽があるだろう。それらが箱根駅伝に反映されぬ筈はない)
私の感じる喜び、苦しみは山梨学院の駅伝がもたらすものだという考え方である。この考え方でいけば、私の心中に苦楽が存在するうちは「心はプルシアンブルー」も健在であることになる。
これに対して、終了説派の論拠はさまざまであった。
(途中棄権があった年度は、心と駅伝のつながりがあったようにもなかったようにも感じられる。このことは、そのつながりが中途半端なものであることを示していると考えることができる。私と山梨学院のつながりが薄れつつあるのだ。「心はプルシアンブルー」は1995年度の途中棄権に始まり、2013年度の途中棄権で終わったのだ)
(今年の12月に、私は30歳になる。箱根を走るランナーとだいぶ年齢的に離れてきた。それによって感性が鈍り、心が山梨学院のレースぶりを感じ取れなくなるのではないか)
(「心はプルシアンブルー」が始まったのは10歳の時である。このことから母と同居した10年後には「心はプルシアンブルー」の状態になると考えることもできる。2004年から一人暮らしを始めたから、その10年後にあたる2014年は「心はプルシアンブルー」は終わっている筈だ)
こうした終了説派の主張もまた、私にはもっともらしく感じられた。
結局この論戦は次のような形で締めくくられることになる。
(今年も「心はプルシアンブルー」が続いているかどうかは不明である。とりあえずは続いているという前提のもと、精一杯幸福を追求しよう。しかし精神状態が箱根駅伝の結果にまったく反映されない展開も覚悟しておく必要がある。もしそうなった場合は潔く現実を受け入れよう)
この前提の下、H社で働き続けるのか、今年も海外小説を読むのか、ということを考えることになった。そして出された結論はすべて例年通りのものであった。途中棄権も結局、生活面には特に影響を与えなかったことになる。
さて箱根駅伝は正月に行われるが、その一週間ほど前、クリスマスの頃に全国高校駅伝が行われる。2013年この全国高校駅伝を制したのは山梨学院大学付属高校であった。高校駅伝は全7区間で争われるが、山梨学院付属校の優勝メンバーのうち5人が3年生だった。そして、その5人全員がそのまま山梨学院大学に進学し競技を続けることが決まっていた。
箱根駅伝では有力なルーキーのことをスーパールーキーと呼ぶことが多い。山梨学院にはスーパールーキー候補が一気に5人も入学してきたわけである。
このことから箱根ファンの間では早くも山梨学院の上位進出、更には復活優勝を期待する声が上がっていた。
しかし私の心の中では、「心はプルシアンブルー」が続けば優勝など夢のまた夢だろう、という思いが強かった。95年度以降で、山梨学院がもっとも優勝に近かったのは2002年度である。この時は往路優勝し、復路でも9区中盤まで首位を走った。
この2002年の私の精神の高揚ぶりは今思い返しても尋常なものではなかった。当時、私はマーフィーの法則というのにはまっていた。マーフィーの法則によれば、思ったことはすべて実現するという。このことを鵜呑みにし、「私は京都大学に進学します」とか「私はノーベル賞をとります」とか「私が世界を救います」といった言葉を胸のうちで繰り返していた。一切努力することなく、こうした言葉の力だけでこれらのことが実現すると信じていたのが、この2002年、高校3年生の時の話である。
こうしたことを信じていたから精神状態が上がったというよりは、精神が異常に高揚していたから、このようなことを信じることができた、というべきなのかもしれない。とにもかくにもあれほど楽天的にものごとを考えることはこの先できないだろうし、またあの時に戻りたいとも思わない。
この2002年の経験を振り返った時、優勝などはとても無理というのが率直な気持ちだった。PATMや耳鳴りといった諸問題を抱えた現状を思えば、いかに有力な選手が入ってこようとも、期待の高さに見合うような結果が出るとは思えなかった。
もっとも、これは「心はプルシアンブルー」が続いた場合の話である。「心はプルシアンブルー」が終われば、高校駅伝優勝メンバーの5人も実力をさらに伸ばし、箱根駅伝でも期待に見合う活躍をすることは充分にありそうだった。
そうしたことを思えば、「心はプルシアンブルー」は終わった方がよいのかもしれない、という気持ちもあった。
そもそも山梨学院が箱根で苦戦するようになったのは、「心はプルシアンブルー」が始まったと考えられる1995年度以降のことである。
(自分は山梨学院の疫病神なのかもしれない)
山梨学院を我が事のように思いつつも、そんな後ろめたさを感じることは少なくない。
しかしそれでも「心はプルシアンブルー」の続行を望む気持ちのほうが強かった。それを失えば自分には何も残らないだろう、という考えからである。
続くのか、終わるのか――人生の基盤であった「心はプルシアンブルー」にゆらぎが生じた状態で2014年は始まった。