会津若松の東山温泉に近い慶山焼窯元を訪ねた時、同じ会津で古い歴史を持つ、本郷焼について訊いてみました。

 「こちら(慶山焼)は、一度絶えているんですけど、あちら(本郷焼)はずっと続いておられる窯ですから。宗像さんが有名ですよね」というのが奥さんの言葉。本郷焼は会津若松から

JRで15分ほど離れた本郷町で焼かれています。陶磁器会館などもあるようですが、今回は時間もないので、訪問は諦めました。

 本郷焼は、会津松平家を開いた保科正之が、瀬戸から陶工水野源右衛門を招き、茶器などを焼かせたのが始まりとされます。もっとも、この時代の茶器はほとんど残っていないようです。源右衛門の死後、その弟が招かれ、瀬戸右衛門の名を与えられて、施釉瓦を焼くことに成功したとされます。水野家は、御用窯として続き、明治期に絶えますが、藩に納めるものは、日用什器が多かったようです。民間の窯も徐々に増え、日用雑器が焼かれました。一方、18世紀末、佐藤伊兵衛という人が、藩命で全国の窯元を一年余にわたり巡り、九州で磁器の焼成を学び帰郷しました。これはまだ未完成の磁器だったのですが、19世紀前半には手代木幸右衛門が、完全な磁器焼成に成功、有田や瀬戸に劣らない純白の地の染付が作られるようになりました。民間でも磁器を焼く窯が忽ち増え、水野家でさえ、磁器に転向したといわれます。あらゆる日用品が作られましたが、染付で大きな牡丹を描いた品が人気を博したと聞きます。磁器窯の形式が有田式と瀬戸式の混合で独特なんだそうですが、この辺のことは素人の私には理解出来ません。戊辰戦争で衰退しますが、明治中期には盛り返し、輸出物やセラミックなど工業品も手掛け、第二次大戦も乗り越えて、存続しています。一方、陶器の窯は、日用雑器を作り続けましたが衰退して、一時は一軒だけになったと言われます。それが宗像窯のようです。しかし、昭和期、柳宗悦らの民芸運動で注目され、また昭和33年、ベルギーのブリュッセルで開かれた万国博覧会で、この窯の伝統的な鰊鉢(会津の地方料理で鰊の山椒漬を作る器)がグランプリを取り、大きな話題となりました。

 上が鰊鉢です。下は、本郷焼の茶碗で、私の親友がプレゼントしてくれた品ですが、何故彼が所持していたかはわかりません。六代宗像窯の作で、万国博の受賞を示す紙が貼られており、その頃のものでしょう。手取りが重く、いかにも民芸風な作品に見えます。

 下は、窯元ははっきりしませんが、会津本郷焼の徳利。青年時代に会津に行った折、購入したもので、茶事でお預け徳利に使ったことがあります。

 会津本郷焼は、現在13軒の窯元があるようで、陶器、磁器、セラミックと、それぞれ分業のようです。宗像窯は、現在八代目で、当主は作品が出光美術館などに収蔵されるなど、作家として一定の評価があり、有名なようです。茶の湯とはあまり縁がありませんが、この地方の茶の湯の世界では、本郷焼も使われているのだろうと思います。

   萍亭主