会津に湯治に出かけて、茶室麟閣を見るついでに、先に人並みに市内をを観光しました。
幼少期や青年期に一度は見ているのですが、以下をざっと観光。最初に向かった会津松平家墓地は、幼少期の遊び場だったのですが、行ってみると「熊出没注意」の立札と熊よけ鈴貸出中というのに恐れをなして、入口だけでパス。
飯盛山の白虎隊墓地は、険しい道をエスカレーターで登れるようになっているのに、時代を感じ、栄螺(さざえ)堂は、インバウンドが賑わう以外は昔のまま。
御薬園の景色も昔のまま。
今回、初めて訪れたのは、会津武家屋敷ミュージアム。展示館や資料館、移築された古い代官屋敷などありますが、目玉は復元された家老屋敷。その道の大家たちにより忠実に復元された物だといいます。掲示のように、沢山な部屋数の屋敷ですが、黄色部分の「身分の高いお客様の接待所」つまり御成りの間に、茶室があります。
行ってみると、書院の間は写真のような具合で、画面左の襖が茶室に通じています。画面右手の入側(広縁)を奥の左に回ると、茶室の前に達します。
下が広縁側から見た茶室ですが、雑然と物が置かれていて、どこに炉が切られているのか、さっぱりわかりません。
奥に見える襖は、隣の鎖の間につながる襖で、写真に写りませんでしたが、画面左に、書院に通じる襖があります。ちなみに鎖の間は、床も何の装飾もない六畳で、天井に釣り釜用の蛭釘があるはずなのですが、よく見えず、こちらも炉の位置がわかりません。六畳台目なので、常識的には、そこが点前畳で、入り炉なり台目切りで炉があると考えたいのですが、そうすると、書院側が茶道口になってしまう。それに、客の殿様が、広縁を大回りして茶室に入るのもおかしい。やはり書院から直接入るでしょうから、台目畳は客の踏込み畳でしょう。広縁側が水屋で点前口になるのでしょう。写真に葵紋散台子という茶道具を置く棚と書いた品が写っていますが、点前用の台子ではなく置き棚であることは明らかで、これが広縁に置かれていたのでしょう。炉は突っ込みで四畳半切、つまり鎖の間に通じる畳が点前座ということになり、これも妙なのですが、今のところ、私にはこれくらいしか思いつきません。更に妙なのは、武家なのに床の間に対して、腹切りに畳が敷かれていることです。
この畳の敷き方は正しいのか、復元が本当に正確なのか。雑然と飾られた室内を見るとそんな気になります。置いてある茶道具も粗末ですし、何故屏風があるのか、変な置き炉みたいなものが妙な位置にあるのか。全く茶の湯を知らない人が管理しているように見えます。
実は、このミュージアムには、別の場所に、麟閣の写しの茶室があるのですが、これから本物を見にゆくのだからと、ざっと覗いて写真も撮らなかったのですが、失敗だったと今更悔やんでいます。
萍亭主








