前回の続きですが、台子というものは、初心の方は、あまり馴染みもなし、何となく、四本柱の大きな棚というイメージのようですが、台子もいろいろ種類があって、実は柱二本だけのタイプもあります。「及台子」です。

   柱が、やや幅が広めで、上下に雲形の板が鰭のようについている二本で左右の中央で支えられて、全体は真台子より少し小さく、天板が長さ二尺九寸五分、幅一尺三寸五分の長方形、地板が長さ二尺九寸九分、幅一尺四寸の長方形、高さ一尺八寸三分なんだそうです。名前は、ほんとは「及第台子」で、それを略したのだとか。及第って何に?というと、中国の科挙(官吏の登用試験)に合格することで、科挙に合格した人は「及第門」という門を潜る、その門の形と、この台子の格好が似ているので、この名がついたと。ひどく持ってまわった感じの命名です。別説では、門でなく、科挙で使った机で、この上に合格者名簿を載せたんだというのです。机であった証拠に、この天板は、端が平坦でなく少し立ち上がっていて、それを「筆返し」と称している、と。また、そうじゃない、古い本には「弓台子」と書かれていて、弓関係の品だったんだという少数意見もあるようです。いずれにしろ、真台子同様、中国からの渡来品で、辞書には「早くから日本に渡来した」とあるんですが、早いというのはいつ頃か、何も書いていないので分かりません。何時から誰が茶の湯道具に使ったのかも何の伝承もないようです。ともあれ、昔から真台子より一段格落ちのものとされて扱われ、南方録に「台子ノ風炉ヲノケタルモノ也」真台子から風炉を除いた、つまり、炉用という、もう少し侘びた物用というふうに書かれています。本歌は唐物(中国製)でも、結局、日本の茶人が好んだバージョンの何種かが使われています。紹鷗好み、利休好み真塗、宗旦好みの桑などです。宗旦が東福門院に献茶の折に好んだという、青漆爪紅(緑色で柱の縁などが赤)の及台子や、常叟好みで、黒塗りで、縁に朱で波の模様を蒔絵した爪紅台子など、華やかな感じのものもあって、こういうのは確かに、真台子よりは、ぐっと砕けた感じがします。ですから、普通の茶会で平点前で使われる事もあって、大寄せ茶会で使われたのを、一度見た覚えがあります。我が家にも、下の写真のような、永田習水作の青漆爪紅及台子があって箱には別に書いてはありませんが、宗旦好み写しなんだろうと思います。何年か前の初釜に妻が使っておりました。

 私は実物を見たことがないのですが、変わり型に、天板と地板を小判形にした「鴨脚台子」というものがあるんだそうです。裏千家八代家元一燈の好みで、大徳寺の銀杏の老木で作ったもので、溜塗だそうです。「鴨脚」という妙なネーミングは、銀杏の葉は鴨の脚の格好に似ている、つまり、銀杏で作ってあるからという、これまた持ってまわった命名です。

 台子は、四本柱、二本柱のものだけでなく、三本柱のものも存在します。裏千家十三代円能斎が好んだ「五行台子」で、桐木地で、竹の柱が三本、地板の左右の中央と、向こう正面中央に一本づつ立った形で、裏千家に詳しい方なら、玄々斎好み五行棚を思い浮かべられるでしょう。これも私は実物を見たことがなく、いわんや、何時、どういう場合に、どう使うのか分かりません。なにしろ、台子は秘事ということで、本には何も書かれていません。

 以上、茶の湯に堪能な人なら、ご存知の話なかりですが、茶の湯初心の人への及台子系の説明としては、これで及第でしょうか?

   萍亭主