前回の続きですが、有楽苑には、如庵の他にも茶室があります。

 一つが、有楽が大坂屋敷内に建てた茶室「元庵」を復元したもので、如庵が昭和47年にここに移築された折、復元されたもので、如庵移築の指揮をとった堀口捨巳博士の設計によると聞きます。以前訪問した時にも、当然見学しているのですが、実は、如庵の方は鮮明に覚えているのに、元庵の方は、記憶があやふやであったことに、我ながら驚きました。この露地には、腰掛待合があり、これは、大磯に如庵があった頃は、如庵の腰掛待合だったのを利用しているそうですが、まず、これを覚えていない。今回座ってみて、結構大きめの腰掛けなんだなと実感しました。砂雪隠も付いている本式のものですが、ちょっと不思議なのは、腰掛の板が、詰め(末客)の所だけ、違う意匠に作ってあるのです。普通、正客の席だけ違えると思うのですが。写真を撮り忘れたので、説明が分かりにくいかも知れませんが、正客石が据えられているのは、雪隠寄りの場所で、末客の所には、特に石もないので、現在はこういうことなんでしょうが、本来は逆で、移築の折、石組を変えてしまったのかとも思いましたが、現在の元庵に対しての位置から見ても、別にそうしなければならぬ風にも見えず、或いは、露地門との位置関係から考えて、こうしたのか、しかし、堀口博士ほどの人がそんなことするかなあ、と疑問のままです。

 さて、元庵は、珍しい亭主床(点前座の奥に床の間がある)の三畳台目の席ですが、亭主床であることは流石に覚えていましたが、私は大きな勘違いをしていました。

 ここは、如庵と違い、中を覗けるのですが、記憶の中では、前面が貴人口で、敷居越しに内部を見たように錯覚していました。実は貴人口などなく、前面は躙口で、その上の竹格子の窓から中を覗けるわけです。

 客座の後ろに大きな火灯口があって、隣の細長い四畳の鞘の間に繋がっています。この長四畳と隣の六畳間は、縁側から障子越しに中が覗けるわけで、この記憶が本席と混同していたようで、我ながらいい加減なものです。ともあれ、亭主床の席は、大和慈光院の片桐石州の茶室とここくらいしか思い浮かばない珍しいもので、ここは点前座の向こうが道庫になっているというのも珍しい造りです。

 他に、後年、中村昌生博士が設計した弘庵という広間があり、現在は抹茶どころに使われていますが、その亭前に、説明札を建てた水琴窟があり、こんなものあったかと首を傾げましたが、更に、元庵に通じる入口のの側に、藤村庸軒所持の灯籠というのがあり、この灯籠や玄関の様子など、全く記憶にありません。

 老齢で記憶が衰えたか、生来いい加減にしか物事を見ないからか、多少反省しましたが、この反省自体、すぐに忘れそう。その前に、昨日は夕食でなにを食べたか、忘れないようにしなければなりますまいか。

   萍亭主