明治村を見た後、久しぶりに有楽苑を訪ねようかと、犬山に一泊しました。
有楽苑は、織田有楽の好んだ茶室如庵と、復元された有楽の大坂屋敷にあったという元庵などがある茶苑です。ご承知のように、如庵は有楽が京都建仁寺正伝院内に建て、明治期、三井本家に買い取られて、東京麻布に移築、その後大磯の三井別邸に移築され、戦後、名鉄資本に買い取られて、この犬山の名鉄犬山ホテルのそばに移築され、待庵、密庵と並んで国宝になっている茶室です。随分昔ですが、妻と名鉄ホテルに一泊して訪問したことがあるのですが、今回行ってみると、ホテルは外国資本に買い取られて、全面的に建て替えられ、モダンな高級ホテルに変わっているのにビックリ。宿泊料のバカ高いのにもビックリ、宿泊客の7割くらいが外国人観光客(主にアジア系)なのにもビックリ。呆れながら、翌朝、有楽苑を訪ねました。ホテル宿泊客は無料で入場出来るということは、この施設も外国資本傘下?
受付付近の様子は、昔の記憶とそう隔たりもなく、辿る苑路も、あやふやな記憶ではありますが、変わりはないように思います。
いざ如庵の露地に来てみると、門が閉ざされ、中に入れません。棟続きの旧正伝院書院の庭側から、外観を望めるだけで、躙口も閉じられています。以前は、露地に入って、躙口の前まで行け、室内には上がれはしませんが、躙口は開け放たれていて、中に首を差し込み、あの独特な点前座や、鱗板や床の間の様子、有楽窓や天井の状態など、よく見られたのに、
これじゃ、外観だけで、ほとんど意味がない。ガイドに確かめたところ、確かに以前は、露地に自由に入れ、躙口の側まで行って、中を見ることも出来た、ところが一年ほど前、観光客が、中に入ったわけではなさそうですが、躙口付近の棧か竹か、何か建具を壊してしまっって大騒ぎになったのだそうです。以来、この状態に制限されてしまったそうで、全く迷惑な話。これは元に戻ることはもうありますまい、如庵の内部構造を見たければ、今後は京都の正伝永源院に復興されている写しでも見る以外ないかもしれません。やれやれです。
如庵の露地には、加藤清正が朝鮮から持ち帰り、太閤秀吉に献上、秀吉がそれを有楽に下賜したという「釜山海」というつくばいや、珠光の好んだ井戸枠を、有楽が写させたという井戸があって、これらも以前は間近で見られたものが、これも今は駄目、つくばいなど、写真を拡大して見る外ありません。
旧正伝院書院は、縁側まで行けて、中も見えますが、ここの襖は、本来は狩野山楽などが描いた極彩色の襖絵なのが、収蔵庫にしまわれて、白襖が嵌められています。コピーを作る金がないので、白にしてあるという説明。そういえば今年二月にサントリー美術館で織田有楽展があった折、ここの襖が出ていたのを思い出しましたが、あれがここに嵌っていれば、豪華な桃山風書院に見えるのかもしれません。
書院の庭には、20人ほどの中国人ツアーが来ていて、中国人ガイドが、延々と熱弁を奮っていましたが、何を喋っているのか無論私には分かりませんが、どうも茶の湯のことではなく織田信長と有楽に関してではないかと思われました。客たちはやや退屈そうで、書院の縁側には、如庵の起こし絵が置いてありましたが、彼らが興味を示したかは微妙のようです。
続きは次回に。
萍亭主













