前回の続きですが、茶道会館の茶会で、立礼席をお暇したのが正午の15分前頃。時刻もよいので、点心席に入りました。

 点心は、八竹の茶巾寿司。このお弁当に巡り合うのも久しぶりです。昔、大寄せ茶会によく行っていた頃は、これと、雅といいましたか、たしか上野の方のお店の、円形の折詰で、扇形に上部を開くチラシ寿司が幅を利かせていたものです。ちょっと贅沢な会だと、有職のちまき寿司が出たりしたこともありました。近年は、会にもよるのでしょうが、三友居の折詰によく出会うような気がします。事情通の話では、八竹の寿司も、私の知っている昔にくらべれば、倍近く値上がりしているそうで、茶会での主催者も頭が痛いことでしょう。久しぶりの懐かしい味を頂戴して、帰途につこうと、多勢が並んでいる「山の茶屋」の前を抜けて「真の間」の前を通り過ぎようとしたら、ここは誰も並んでおらず、受付の方が「今始まるところで、お二人なら入れますが」と言われるので、結局、お邪魔することに。寄付きになっている「行の間」の飾りも拝見せず、本席の中に。ここは表千家さんの席で、若い男性の席主のお話では「2020年に、この茶会で席持ちの予定だったが、コロナ禍で今日まで延期になってしまった。20年の折は、祖母が亡くなって間がなかったので、追善の趣向でやるつもりだったが、5年も経ってしまったので、全部追善ということではなく、少し祖母を偲んでという道具組で」ということです。お祖母様は表千家の偉い茶人だったのでしょう。雅楽の笙の奏者でもあったそうで「笙は鳳凰の形から来ていると言われるので、鳳凰に因んだものを少し取り合わせました」ということで、風炉先、色絵茶碗、棗が鳳凰の紋様でした。お正客は知人でおられるらしく「お祖母様もお喜びでしょう」とそつなく挨拶されていましたが、故人を存じ上げない私は、正直いうと、なかなか感慨を持ちにくい。こういった趣向は、茶事や小寄せなど、故人に縁のある方ばかりの集まりだといいのでしょうが、無縁の客も多い大寄せでは、なかなか難しいところです。いっそ、完全な追善趣向の方が、雰囲気が出やすかったかもしれません。床は、家元の「語尽山雲海月情」の軸で、花入は永楽の交趾、花が大山蓮華で、立礼席とかぶりますが、大寄せではよく起きる事態です。水指棚に真葛の浅黄交趾青海波水指、山口寿雄の欄干風炉釜、主茶碗が惺入の黒、替が永楽即全、棗が一后一兆、食籠が宗哲、煙草盆が一閑で、棚、釜以外は、全て箱書付きという、いかにも表千家風の、きっちりしたオーソドックスな取り合わせ。ただ茶杓が、茶友の作られたもので「盲亀」という銘が、どうも趣向とピッタリ来ず、盲亀浮木(滅多に起こらない奇跡)の言葉が、あまり腑に落ちないのが残念でした。お菓子が金沢で作らせたという、求肥、きんとん、羊羹の三味を一体化した凝ったもので、不思議な食感でした。

 一時頃には、雨の降り出さぬ内に帰路につくことが出来、結構な一日でした。初めて拝見するお流儀、一風変わった席、オーソドックスな席と、いろいろ体験できましたがが、考えてみると、茶の湯の価値観や、茶趣味、茶歴、茶への感性など、いろいろ違う人たちが集まる大寄せ茶会で、全ての客を満足させるということは、至難の業で、大寄せで席持ちをするというのは、難しい厄介なことだとつくづく思います。昔は、よく恐れげもなく、席持ちをしたものだと、我ながら呆れる思いです。

  萍亭主