先日、朝茶事の時の出来事です。

 中立ちの後、入席の合図の銅鑼の音が、「大、小、中、中、大」と、五点聞こえただけのように思えて、茶事が終わってから、亭主に確かめたところ、そうだというので、どうしてかと訊くと、サポート役の娘が指示したようです。これはおかしい、そこで娘に何故だ?と尋ねたところ、「だってお客が四人じゃない」という返事。「だから七つ打つべきだろう」「え、五つでいい筈よ」と押し問答。私が習ったのは、銅鑼は通常、大、小、大、小、中、中、大と七点打つ、客数が三人以下か、露地がごく狭い場合のみ、五点打つと覚えていました。念の為、古い本を引っ張り出してみると、間違いなくそう書いてある。しかし娘が、これで良いはずと言い張るので、本家本元の方に聞いてみようと、京都の若い業体に電話してみました。「今、裏千家ではどう教えている?」と訊くと「客が五人以上は七点、四人以下は五点です」という答え。え!「昔はそうじゃなかった筈だが」「変わったんだと思います」「いつから?」「うーん、だいぶ前だと」「客五人以上って、茶事は五人までが原則じゃないのかい?懐石皆具だって五人前だよ」「ま、広間で重ね茶碗でするとか」。こういう茶事も今は多いのかもしれません。ともかく、裏千家では、今はこういうルールになったようですが、その理屈は不明で、私は、銅鑼は七点打つ方が、打ちやすく聞き易いと思うのですが。ルールは、点前の細かい手順が変わったり、器具の扱いが変わったり、家元が変わると、変わってしまうこともある。それも、いつのまにかと感じることも多いようです。よく、古い茶歴の人がお点前をして、「あ、それは昔のやり方です」と指摘されたりすることもあると聞きますが、今のやり方ではないと言っても、一概に、間違っているとか、やってはいけないと決めつけられない面もありそうです。いずれにせよ、何事も変わりゆくのは当然で、家元の考え一つでルールが変わるのも、茶の湯の世界ですから、別にどうということではないかもしれませんが、理由が納得いきにくいものもないではありません。例えば、裏千家では懐石の時、八寸には中節の箸を用い、香の物に両細の箸を用いますが、円能斎の頃までは、他流のように、八寸に両細を用いていました。両細は、両方を先として使えるので、海の物を取った後に、持ち替えて、別の先で山の物を取るという、合理的な働きが出来るのですが、この合理性を捨てて何故、中節にしたのか、どうも合点が行きません。ま、ともかく、変わっている事実を知らないのは、年寄りの不勉強ですが、まあ、どうでもいいやと居直るような齢に私もなりました。

  萍亭主