前回の続きですが、Noさんが席主の朝茶事は、懐石が始まりました。

 このところ、我が家でやりつけている方式で、小卓と低い椅子を出し、懐石の間はお客様の足が痺れぬよう、配慮します。古典好きの方、規則にうるさい方は、顔を顰められるかもしれませんが、現代人に四時間強を正座し続けろというのは、普段の生活環境からいって、もはや無理、楽しんで頂くためには、足の負担は軽減した方が、やはりよいと信じるわけです。さて、朝茶の懐石は、軽々とするのが本意だという事で、一汁三菜の内の焼物を省略するというのは、多分、どの流儀でも同じだと思います。昔の会記を読むと、粥(朝粥ですね)を供したとか、麦飯とろろで味噌汁は省略とか、蓮の炊き込みご飯と大徳寺納豆だけとか、変わった趣向もあったようですが、そういう変則を試みる余裕も、懐石担当の妻にはないので、オーソドックスな形に。妻は、初代辻留の主人が言ったという「懐石は旬のものを大切にする、旬のものの持つ味を殺さないように、味付けを濃くしない。旬の風味を損なわないように余計な手間を掛けない。飾り付けに凝らない」というのを信条としているんだそうですが、手間を掛けないイコール手抜きの言い訳にしてるんじゃないかと疑ることもあるのですが、これをいうと怒られるので。

 膳の向こうに黒文字を添えたのは、お菓子は腰掛けで差し上げますよという合図。向付は鮎を三枚に開き、一夜干しにしました。実際は一夜干すと乾き過ぎるので、3時間くらい干したでしょうか。大根おろしを添えて、作家物のガラス皿に載せてみました。

 酒は、酒豪の半東のWさんが吟味して用意した「渚」という会津若松産の酒。正客もいける口ですし、男性客もいるので、気を使ったようです。

 久しぶりに持ち出した籠飯器。多少古びましたが、黴臭くならなかったのは幸い。それにしても、不恰好なカネの杓子といい、誰がこんなものを思いついたのか不思議です。

 煮物椀は、枝豆を粒ごと入れた豆腐に、筍、和布。彩りに海老を添えたもの。椀は、古い象彦の亀甲椀。変に模様のない方が、朝には良いかとこれにしました。

 焼物を省略の代わりに、何かもう一品出すべきか迷ったのですが、やはり出さないと寂しいような気がして鶏の笹身と胡瓜、人参、榎茸、貝割れ(自家製)を、四国産の酢で、さっとあえたものを、古萩の鉢に盛り、薦め鉢に。これで、亭主相伴となりましたが、正午の茶事ほど相伴の時間を長くは取るわけにいきませんから、亭主、半東は慌ただしく朝食。

 小吸物は、ガラスなので、綺麗に見えるものをと、中身は塩を抜いた桜漬。

 八寸は、海のものが粒貝、山のものが青梅で、これはご亭主が準備されたもの。「亭主なんだから、懐石も一品くらいは自分で用意して参加しなさい」と妻が主張した結果です。ご亭主は、あまり酒に強くないので、千鳥の献酬は全部省略という事で、盃事は早めに終了、湯次と香の物を出すことになりました。

 湯次は、前に書いたように見立てですが、杓子は同じ作家に頼んだもの。香の物鉢ですが、これは亭主の自作で、陶芸教室で建水を作ったつもりが、出来上がったら、とても建水にはならない。そこで、転用を思いつき、今日が初使いというわけです。この陶芸教室に、当時、正客も一緒に通われたそうで「ああ、あの時の」と、話がはずんだようです。中立ちになり、菓子は腰掛けでということに。

 お菓子は、特注した「落とし文」。器は、隅田川籠という、昔、隅田川で白魚漁に使った四つ手網籠から思い付かれたという器。もう陽が大分差し込んで来ましたが、腰掛けで菓子を食べるのは、風が通る中、また別の風情があって、お客様は喜ばれたようです。

 続きは次回に。

    萍亭主